2017.03.21 08:25

声ひろば 2017年3月21日、火曜日

《志国高知 幕末維新博特集》

1.龍馬の大きさ再認識
【梅原久義、71歳、高知市】
 「志国高知 幕末維新博」のメイン会場・高知城歴史博物館で、新たに見つかった坂本龍馬の手紙を見た。端正で透明感すら感じる見事な筆致で書かれ、国宝指定も視野に入る出色の出来栄えに見える。
 中でも白眉は、誰もが思う「新国家」の言葉だ。今日使っている意味での「藩」は、明治時代になり公式の用語となった言葉で、当時は「家中」といって“家”意識から脱却できず、狭い地域にしか目が向いていない感じだが、そんな中で、日本という国や世界に目を向けた龍馬の国家意識は卓越している。
 手紙の日付が、実務面において「新国家に向けて舵(かじ)を切った維新のターニング・ポイント」と言っても過言ではない。
 「ガロアの理論」で知られる仏の数学者、ガロアは、決闘で死ぬが、その前夜、死を予感して友人への手紙に、研究したことを書き残しつつ、余白には「時間がない」と記している。
 一方、一気に書き上げたかに見える龍馬の手紙にも「一日先に…一日先に…」と繰り返している箇所からも、手紙や手記ならではの緊迫感が伝わってくる。
 文面に私心が感じられないのも、人物眼がさえた原因の一つなのだろう。無駄がなく、それでいて味のある粒立ちの良い言葉は、よほど龍馬の精神が興起だったかが分かる。とにかく一介の志士の書ける内容ではない。語り尽くせぬ龍馬の大きさである。

2.現代の脱藩者たれ
【小松憲司、58歳、公務員、高知市】
 幕末維新博が開幕した。知事肝いりの維新博が初の県外観光客年間500万人台、それ以上の1千万人を見据えた起爆剤になるのを、県民の一人として心から祈念してやまない。
 5日付高新1面に、暗殺5日前の龍馬直筆「新国家」の文字の書かれた手紙に見入る来場者の様子が写し出されていた。維新博は、龍馬の志を共有する県民イベントでもある。
 当時、龍馬は手紙を認(したた)めながら何を心に思っていたのだろうか。「脱藩」を今に例えるなら、ビザなしの「密入国」。龍馬暗殺の背景には、これも今風に言うと「2人の警官殺し」容疑の「全国指名手配」の身の上があった。
 そこまでして、龍馬がなそうとした「新国家」とは何だったのか。龍馬は日本史上、初めて「日本人」の意識を自覚した行動の人と言われる。
 個人、家族、藩の利益よりも「日本国」の国益を最優先した一人の偉人だ。龍馬は政治家ではなかった。それは、明治政府設立後の大臣の要職をきっぱりと断った経緯からわかる。現今の閣僚の金権癒着や某省官僚の利権を天下り職に悪用したのとは、全くかけ離れた無私無欲の人だった。
 誰か、現代の脱藩者たれ。そんな龍馬の檄(げき)が手紙からは聞こえてくる。

3.「高野切」本物に感動
【稲垣悦子、76歳、主婦、高知市】
 2年間にわたる「志国高知 幕末維新博」が華々しく開幕した。オープニングセレモニーをテレビで見て、翌日の日曜日に夫と高知城歴史博物館に行った。
 ポカポカ陽気なので自宅から歩いた。途中で周辺のにぎわいを楽しみながら会場に着いた。会場は観光客が多く混雑していたが、係員の案内でスムーズに入場できた。私は貸し出し用のタブレットの説明を聞きながらじっくりと鑑賞した。
 特に、坂本龍馬が暗殺される5日前に書いたといわれる手紙の中の「新国家」の箇所は、意気込みを感じた。
 次に国宝の「高野切」は、書道を勉強している人には憧れの古典で印刷ではなじみのものだが、本物を見て感動で涙が出そうになった。
 余韻に浸りながら退場し、2階の喫茶のケーキセットでひと休みした。久しぶりに日曜市に立ち寄り、帰途に就いた。心地よい疲れと、充実した博物館を堪能して良いひとときを過ごすことができた。

4.志士の精神に触れたい
【楠田泰弘、55歳、会社員、浜松市】
 3月4日より「志国高知 幕末維新博」が始まったと知りました。自分が高知へ行ったのは、30年くらい前になるでしょうか。
 一番の目的は、桂浜の坂本龍馬の銅像を見に行くことでした。太平洋を見つめて立つ龍馬の姿は、小さく縮こまっていないでもっと大きく考えよと言っているようでした。
 維新の立役者になった人物の多くは長州、薩摩、土佐などの地方の人たちでした。
 どうして特定の地域に集中しているのか疑問だったのですが、その地に生まれたからこそ、大きな影響を与えられたのかもしれません。
 日本の将来を案じ、現状維持が危うければ国を百八十度回転させる。そのような大胆な発想は、やはり中央ではなく地方から出てくるのでしょう。
 江戸時代末期、黒船の来航から日本は大きく動きだしました。現在の日本もその時代と同じように、近隣諸国の脅威が迫っており、日本が変わらなければならない時期に差し掛かっているように思います。
 自分や周りの人たちの生活をいくら守っても、日本という国が沈没してしまったら元も子もありません。自分の枠を超えて、より大きなもののために生きた維新の志士たちの精神に触れるために、また高知を訪れることができればと思います。

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