2017.03.18 08:05

【原発事故訴訟】重大な国と東電の「過失」

 東京電力の福島第1原発事故によって人生を狂わされた人たちの、苦しみに寄り添った判決である。
 原発事故で福島県から群馬県などに避難した住民ら137人が東電と国に計約15億円の損害賠償を求めた訴訟で、前橋地裁は津波対策で両者に過失があったとして計3855万円の賠償を命じた。
 東電は2002年には想定を上回る大津波の襲来を予見できたとし、国は規制権限を行使して東電に対策を講じさせるべきだった、と判断した。市民感覚から言っても明快な判決ではないか。
 最大の焦点は、巨大津波を予見し事故を回避できたかどうか。
 東電は、政府の地震調査研究推進本部が02年にまとめた長期評価で示した巨大地震が起きた場合、津波が高さ10メートルの原発敷地を上回るとの試算結果を得ていた。
 これを踏まえ判決は、東電は巨大津波の予見が可能だった▽簡単な対策で事故を防げたのに、安全より経済的合理性を優先させた―と結論づけた。長期評価は科学的知見として不十分との反論も、「そもそも規制権限がなかった」とする国の主張も退けている。
 東電や国には厳しい内容だが決して特異なものではない。
 国会の事故調査委員会も今回と同様の理由を挙げて、「自然災害ではなく明らかに人災だ」と指弾した。国際原子力機関(IAEA)も福島第1原発事故に関する報告書で、東電は対策を怠り国も迅速な対応を求めなかった、と総括している。
 事故当時の東電の経営陣3人は現在、業務上過失致死傷罪で強制起訴されている。市民で構成する検察審査会が、検察の不起訴処分に納得せず「起訴すべきだ」と議決した。それもやはり「大津波が来る危険性を予見しながら、対策を怠っていた」との判断からである。
 世界を震撼(しんかん)させた深刻な事故であるにもかかわらず、誰も責任を問われないのはなぜなのか。この疑問は被災者のみならず、多くの国民が抱いているものだろう。
 こうした点で今回、司法が初めて国と東電の過失や賠償責任を認めたことは極めて重い意味を持とう。
 一方で、賠償が認められたのは原告のうち62人。判決は「単なる不安感にとどまらない程度の危険を避けるために、引っ越したと言えるかどうかが重要だ」とし、被ばく想定線量や年齢、性別などに照らして検討したという。
 原発事故さえなければ全員が、福島で平穏な生活を送れていたはずである。低線量被ばくが健康に与える影響も分からない部分がある。それだけに例えば、避難指示区域外からの自主避難者だからといって、安易に「切り捨てる」ようなことはあってはならない。
 判決を受けて国や東電はいま一度、被害者救済の在り方を見直すべきだ。生活基盤を奪われた一人一人に誠実に向き合う。それが原発を推進してきた者の責務である。
カテゴリー: 社説

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