2018.01.02 08:41

優勝監督座談会〈1〉甲子園で輝け高知県勢

 高知県勢は、春夏の甲子園で計5度頂点に立っている。「優勝監督」の肩書を持つ指導者は、100回の節目を迎える今の高校野球界に何を思うのか―。谷脇一夫、岡本道雄、馬淵史郎、山中直人の4氏に語り合ってもらった。


元高知商高監督 谷脇 一夫氏(たにわき・かずお) 高知商2年時の1961年夏の甲子園に出場し、2回戦で敗退。社会人野球の鐘淵化学で選手・コーチとして活躍。75年9月に高知商監督に就き、93年8月まで務めた。監督で初出場の78年夏に準優勝し、80年春に優勝。監督として春夏通算14回出場し25勝13敗。優勝1回、準優勝1回、8強3回。いの町出身。73歳。
 
 
元高知高監督 岡本 道雄氏(おかもと・みちお) 高知高2年時の1963年夏は初戦で敗れたが、翌夏に高知県勢として春夏通じ初優勝。69年に監督就任。90年に退任後、94年に復帰し99年3月まで務めた。75年春に県勢初のセンバツ優勝。監督として春夏通算12回出場し14勝11敗。優勝1回、8強3回。旧大方町出身。71歳。
 
 
 
 
明徳義塾高監督 馬淵 史郎氏(まぶち・しろう) 拓大などを経て、社会人野球の阿部企業を率いて1986年の日本選手権で準優勝。翌年5月から明徳義塾コーチになり、90年に監督就任。2005年に辞任したが、翌年復帰。91年夏に初出場し、14度目の挑戦だった02年夏に優勝。92年夏の星稜戦で松井秀喜を5打席連続敬遠し話題を呼んだ。春夏通算31回出場し49勝30敗。優勝1回、4強4回、8強6回。愛媛県八幡浜市出身。62歳。
 
 
岡豊高監督 山中 直人氏(やまなか・なおと) 大方商から国士舘大を経て、県立高教員に。伊野商を率いて1985年春に優勝を果たした。87年夏は1回戦敗退。春夏通算2回出場し5勝1敗。優勝1回。海洋高を経て、2000年から岡豊高監督。旧大方町出身。60歳。
 

司会=竹内 誠(高知新聞運動部長)


■ベストゲーム
 ―皆さんの甲子園ベストゲームは。
 
岡本 1974年春、2回戦の横浜戦。23歳で監督になって、71年春、72年春も1回戦負け。3度目も1回戦で負けたらクビやと思いよった。幸い勝てて、次の試合。横浜は前年優勝校で、優勝候補の筆頭。ミーティングでエースに「1点取られたら負けやぞ」と言うていた。0―0で延長に入って十五回にサヨナラ勝ちした。監督を長く続けるもとになった大会で、計算通りになったゲームです。
 
谷脇 当時は甲子園の初戦で負けたらいかんという、ものすごいプレッシャーがあった。一つは勝たんと帰れん、と。だから、僕は90年夏の大宮東との1回戦。初回に1点取って、その裏に6失点。完全な負け試合を何とか逆転できた。
 
馬淵 初戦は勝ちたいですね。校歌を歌えるのは違いますよね。
 
谷脇 選手に甲子園で勝つ味を味わせてやりたい、という強い思いがあった。勝つ味が県大会とは全然違う。
 
 ―共に、優勝を決めた試合ではない。
 
馬淵 優勝した2002年夏の常総学院との3回戦。七回に追いつかれ、八回表に2点勝ち越された。その裏も2死ランナーなし。敵失で一人出て沖田。逆転されたのは沖田のまずい守備からでした。その沖田が右翼に同点ツーランを打った。続く森岡が初球を決勝弾。忘れられません。本当は県の準々決勝で岡豊にやられていた。同点の九回裏、無死満塁で岡豊の4番打者。それを切り抜けた。岡豊戦があって常総戦があった。優勝できると思いました。
 
 ―劇的な夏。
 
馬淵 運命的なものも感じます。岡豊戦の九回裏、先頭打者にフェンス直撃の二塁打を打たれた。春野球場は両翼100メートルですが、前年度まで92メートルやった。改修前ならサヨナラホームラン。全国優勝は春野が広がったから。
 
山中 85年春の1回戦、と言いたいんですが、準決勝のPL戦。
 
 ―桑田真澄、清原和博がいた。
 
山中 練習試合もできない相手だから、楽しもうって。どう勝とうかじゃない。エースの渡辺智男は清原を敬遠するつもりないし。「敬遠せえ」言うのにせんし。もう一回やったら勝てません。選手が言ってました。「(桑田の)カーブ、消える」。消えるもんはしゃあない、見えるストレート打てって言いました。...


...この続きは高知新聞の紙面をご覧下さい。ご購読のお申し込みはこちらから


カテゴリー: スポーツ


ページトップへ