2017.12.08 08:20

高知FDの深江真登・外野手(元オリックス)が野球人生に幕

「目標を定め、一つ一つ詰めていく作業は、野球も社会も同じだと思う」と語る深江真登(高知県越知町の越知町民総合運動場)
「目標を定め、一つ一つ詰めていく作業は、野球も社会も同じだと思う」と語る深江真登(高知県越知町の越知町民総合運動場)
「悔しさ」あるが「悔い」はない
 高知ファイティングドッグス(FD)の中心選手が今季限りで、自らの野球人生に別れを告げた。外野手、深江真登(まさと)、30歳。4年間プレーしたオリックスを戦力外となり、海外の独立リーグを渡り歩き、昨季から高知FDで戦った。すべては“NPB(日本プロ野球機構)復帰”のためだった。「諦め切れず、やってきましたが、もう声は掛からないなって…」。夢への挑戦が終わった。

高知FDで活躍した深江。一塁へ懸命に駆ける(2017年春)
高知FDで活躍した深江。一塁へ懸命に駆ける(2017年春)
 神奈川県出身。幼少期から白球を追ってきた。高校は長野の強豪、松商学園に進み、最後の夏に甲子園に出場した。エースとして初戦に先発したが、3回途中3失点。チームも敗れた。

オリックスでは外野を守った(2013年5月)
オリックスでは外野を守った(2013年5月)
 大学では肘を痛め、公式戦登板はなかった。実績を残せず、関西独立リーグ「明石レッドソルジャーズ」に入団。「NPBへの可能性があるなら」と外野手に転向すると、複数球団から注目され始めた。

オーストラリアの「ウインターリーグ」でプレー(2015年12月)
オーストラリアの「ウインターリーグ」でプレー(2015年12月)
 「売りはスピード。スカウトを見つけたら『深江です、僕のプレーを見てください!』って頭下げてました。そこまでやるかっていう空気もあったけど、顔と名前を覚えてもらう、やれることはやる、と決めてました」

 2010年ドラフト5位でオリックスへ。1年目から開幕1軍を勝ち取り、夏にはスタメン出場を果たした。2軍生活が長かった2年目も、終盤には1軍登録され、初打点を挙げた。

 レギュラーを狙った3年目の春だった。日本ハムから糸井嘉男(現阪神)が電撃加入。外野の枠は、T―岡田、坂口智隆(現ヤクルト)の実績十分な3人で埋まった。追い打ちをかけるように、自身にとって大きな出来事があった。

 「確か3月のオープン戦でした。ずっと調子が良かったのに、その日の打席ではボールが当たらなかった。ヘッドコーチから『先に手を出せ』と助言を受けて、反復しているうちにフォームがおかしくなって、立て直せなくなった」

 そのシーズンは守備、代走で44試合に出場したものの、8月、けん制アウトと盗塁失敗が続いた。「そこで見切られた、と思います」

 4年目は、2軍でさえ出場機会を失い、秋に戦力外通告を受けた。

 「なぜ、そう指摘されたのかを考えず、言われたことをコピーしてただけだった。ヘッドコーチは、上体が前へ突っ込んでいたのを指摘してくれていたんです。当時は、それが分からなかった…」

 翌2015年4月、MLB関係者の目に留まるかもしれないと米独立リーグへ。しかし、開幕1カ月で解雇された。冬には豪「ウインターリーグ」、春からは再び米独立リーグでプレーしたものの、ともに結果は出なかった。

 それでも、「まだやれる」と信じた。

 日本で挑戦する意思を知人に伝えると、四国アイランドリーグでのプレーを勧められた。2016年7月、高知FD入団。当時28歳。最後の挑戦と決めていた。

 後期。深江は中堅手として34試合に出場した。NPBで2千安打を放った駒田徳広監督のアドバイスがはまり、打率3割8分6厘の成績を残す。「これまで学んできた打撃理論と、監督のアドバイスがぴたっとはまる感覚があった」

 そして今季。春に腰を痛めた影響で、途中から靴下を履くことすらままならず、毎日、痛み止めを飲んで耐えた。序盤に4割を超えた打率は下降線をたどる。NPBの支配下登録期限だった7月末が過ぎた。

 事実上、NPB復帰は断たれたが、その後もプレーを続けたのは「高知で優勝したかったから」。しかし、それもかなわなかった。

 「明石に入った時、『大学で1試合も投げていないヤツがまだ野球やってるの?』という空気の中でも、諦めなかったからこそ、“上”に行けた。でも、オリックスにいた時は、生き残るために『自分を変える』というチャレンジができなかった。昔の方が良かったっていう感覚を変えきれなかった」

 深江は静かに振り返る。

 高知FDに入った後、スカウトに自らを売り込むなどNPB復帰への貪欲さが薄らいでいく自分に気付いた、と。

 それでも…。

 「こんなはずじゃなかったという悔しさはあっても、こうしとけばよかった、という悔いはない。今まで、手を抜いてきたことなんて、なかったから」

 間もなく、高知を離れ、帰郷する。夢破れた今、何を思うのか。

 「お金をたくさん稼いで、子どもたちを英才教育するスポーツ組織を立ち上げて、その子たちが大人になっても組織を支えてくれるようなものをつくりたい。やれる気がしています」

 大きく出たね、と返すと、「今までの野球人生と同じ。根拠のない自信ですよ」と白い歯を見せた。

 今度は自分だけでなく、夢を追う次の世代も支援したい―。深江の“第2章”が、ゆっくりと動きだす。

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カテゴリー: スポーツFDスポーツ


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