2017.12.08 08:30

武市半平太が田畑売り道場守る?直筆証文を高知市で発見

掛け軸に仕立てられた武市半平太の証文。隣は保管していた坂本憲昭さん(7日午前、高知市仁井田)
掛け軸に仕立てられた武市半平太の証文。隣は保管していた坂本憲昭さん(7日午前、高知市仁井田)
 土佐勤王党の盟主、武市半平太(1829~65年)が剣術道場を開いていた20代の時に田畑を売ったことを示す証文が、高知市の半平太生家近くの豪農の子孫宅で見つかり、12月7日、関係者が公表した。高知市の歴史家・松岡司さん(74)の鑑定で直筆とみられ、「売却で得た資金を道場の運営資金に充てたと考えられ、当時の家計がうかがえる史料」としている。

 武市半平太は坂本龍馬らも参加した土佐勤王党を結成。尊王攘夷運動を展開し、1865(慶応元)年、勤王党を弾圧する山内容堂によって収獄され、切腹した。

 証文は1852(嘉永5)年12月、高知市仁井田の生家近くに住む豪農の与右衛門に向けて、田畑や山林を「考えることあって売る」との内容。松岡さんによると字の癖から直筆とみられる。

 半平太は証文の時期より2年前に岡田以蔵らも通う剣術道場を開いていた。松岡さんは「暮らしに関する資料は珍しく、半平太と地域との関わりを知る上でも興味深い」と話している。
 
 豪農の子孫で高知市の歯科医、坂本憲昭さん(44)は「先祖と半平太さんは幼なじみ。半平太の亡きがらを連れて帰ったとの話が代々伝わってます」。史料は、公開中の映画「サムライせんせい」の撮影を機に鑑定してもらったという。

 その他、半平太のものとされる脇差し(刃渡り55センチ)、高知市出身の画家、公文菊僊(きくせん)による半平太の立ち姿の肖像画も確認された。史料は14、15日、高知市仁井田の瑞山記念館で展示される。

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カテゴリー: 主要社会坂本龍馬高知中央文化


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