2017.11.14 08:00

声ひろば 2017年11月14日、火曜日

1.お母さんの絵
【森本龍己、63歳、自営業、いの町】
 私が小学校4年生の時のこと、図画の時間に「お母さん」と題する絵を描くことになった。みんなが一斉に、机の上に絵の具と絵筆を出した。でも、私が出したのは、鉛筆と消しゴムだけであった。
 先生が私に「どうした、絵の具を忘れたのか」と聞いた。私は黙って下を向いていた。クラスの誰かが、「こいつの家は貧乏で、絵の具を買うお金がありません」と言った。みんながクスクスと笑った。先生がみんなを叱る声が聞こえた。
 しばらくすると、先生が私の横に来て「君は鉛筆で、お母さんの絵を描いてみろ」と言った。私は救われた気持ちで画用紙にむかった。私には母と2人で仁淀川の河原でにぎり飯を食べた思い出がある。母は大きな1個のおにぎりを二つに割って半分を私にくれた。私は鉛筆で、おにぎりを食べる母子の絵を描いた。
 次の日、学校に行くと、職員室の廊下に「母の日のお祝い」と書いた絵の下に、「お母さんの絵」が張り出されていた。1年生から6年生までの代表の絵だった。4年生の代表は鉛筆で描いた私の絵だった。その時、私の心の中から、絵の具も買えない貧乏の家に生まれた悔しさが消えた。言い知れぬ喜びが湧いた。
 今でも、仁淀川のそばを通ると、優しかったモンペ姿の母の顔を思い出す。くりくり坊主の自分を思い出す。おいしかったおにぎりの味を思い出す。

2.文武両道について
【志磨村幹人、75歳、高知市】
 「文武両道」について考えてみた。文武とは学問・文芸と軍事・武道を指し、この二道に秀でた人がたたえられ、古くは文武二道と言っている。剣豪宮本武蔵は剣の奥義を「五輪書」に著し、絵にも優れていた。太田道灌は和歌を、山岡鉄舟は剣と禅と書をよくしたことから彼らはその代表例に挙げられている。
 今日、文武両道を教育の柱に掲げる学校のあることから、その教育に関心がある。知る限り進学校を自負している学校である。武人が文をよくしたことをたたえられた時代から「勉強だけでなくスポーツも」ということだろう。
 しかし、「進学実績だけでなく部活動でも活躍している」といっても生徒が別では文武両道とはいえない。もちろんその中の数十人は両面で優れているのだろうが文武両道は個をたたえてのこと、多くの生徒が対象でなければ学校としての方針ではない。ことばがひとり躍るのではなく、学校全体としてどのように認識しているかが何よりも肝要と考える。私は文武両道に秀でなくても両道で頑張っている生徒をたたえ、また勉学を柱としつつ、スポーツにも親しむ生徒の育成を目指していると願っている。

3.お酒と私
【松岡一幸、84歳、津野町】
 世の中にお酒が無かったら味気ない、活気も薄らぐ感がするのは私一人の思いかもしれない。喜びも悲しみにも頼りになるお酒、親交を深めたり視野を広めたり等々、良い面も多く生ずるが、半面犯罪や違反等問題を起こし、人生を大きく左右する事も自覚しておくべしである。
 私の親友はなぜかしらアルコール依存症になり若い命を失った。福祉の皆さまと更生につくしたが、残念に思っている。
 私も若い頃の酒の上での失言や、思いもよらぬ行動に、反省や後悔の念が心のすみからはなれない。日頃からの冷静な判断力を養っておく事も大事だと思う。
 さまざまな思い出を残し長生きしていることに感謝し、健康に気をつけながら楽しく味わうことが、家庭の円満にもつながると思う。

4.四国霊場巡拝の思い出
【松本道子、80歳、土佐市】
 平成27、28年の2年がかりで四国霊場108カ寺逆打ち巡拝の旅(別格20霊場を含む)に参加した。初めての体験で、信仰と観光が半々のようなルンルン気分で、月1回の巡拝の日を楽しみに参加していた。
 ところが、2回の日程を残した10月、人生最大の悲しい事が起きた。夫の他界である。告別式をすませ、少し落ち着いたところ、気が付くと1週間後に10月の巡拝の日が迫っていた。
 心身共に疲れ果てていたので参加するかどうか迷っていた。が、夫は淡泊で物事を合理的に考える性格だったから、きっと「くよくよしていても死んだ者は生き返らんぜよ。あと2回じゃき行ってきいや。高野山行きも楽しみにしちょったろう」と言っているようにも思えてきた。
 巡拝用の袋の中のロウソクや線香、納札、おさい銭等を整え、準備をしているうちに気持ちが落ち着き参加する決断がついた。そして10月27日、何事も無かったように巡拝を終え帰宅した。
 いよいよ11月24、25日午前中、四国での巡拝を終え、午後から高野山へと向かった。高野山での1泊は今までのどの旅よりも一番心に残るものがあった。帰り奈良の道の駅で直径10センチ以上もありそうな甘柿3個と高野槙(まき)を夫への土産物として買った。翌日が49日の法要だったので帰宅すると早速仏前にお供えした。
 いろいろな思い出を残し、初めての巡拝の旅は19回休むことなく無事終わることができた。あの日からもうすぐ1年になる。改めて、先達さん、添乗員さん、運転手さん、そして同乗者の皆さん、ありがとうございました。


《中学高校生特集》

1.心から願う資源回復
【久保田聖那、四万十町窪川中2年】
 先日、四万十川流域の関係者が、資源回復のためテナガエビの禁漁に理解を示したという記事を新聞で見ました。幼い頃から生き物が大好きな僕にとって、たくさんの生き物に出合える川はお気に入りの場所。中でも最も魅了されたのがテナガエビです。
 小学2年生の時、岩の下に出ていたハサミを突っついて挟まれ、指で釣り上げた衝撃的な出合い以来虜(とりこ)となりました。毎年楽しみに出掛けてきましたが、年々出合える確率が下がっています。数年前、新聞で激減の一途をたどっていることを知り、心を痛めてきました。
 小学生の頃、四万十川支流の生き物調査でテナガエビにアユ、ドンコ、オイカワ、アカザ、ハゼと、わずかな時間でたくさんの種類が捕れ、「最後の清流」と呼ばれる豊かさを実感しました。
 その際、全国一の淡水魚種数を誇ることを知り、高知にこんなにも豊かな川があることを誇りに思いました。豊かな命を育む四万十川は、高知の宝です。
 禁漁は苦渋の決断だと思いますが、このままでは絶滅も危ぶまれます。大好きなテナガエビに会えなくなるのは寂しいけれど、絶滅してしまうのはもっと寂しいです。禁漁による資源の回復を、心から願っています。豊かな四万十川の恵みを未来に引き継ぐために。

2.キャプテンになって
【津野睦実、幡多農業高3年】
 高校生活で心に残っていることは部活動だ。私は小学2年生の頃から今まで、約10年間バレーボールをしてきた。高校2年生の時、先輩が引退し、私がキャプテンを務めることになった。
 今までキャプテンという役割を任されたことがなかった私は、どのようにチームを引っ張っていくべきか、チームメートにはどのような声をかけたらいいか、全く分からなかった。そのことについての悩みと、自分のプレーがうまくいかないことが重なり、とても落ち込んだ時期があった。
 その時、私の支えになったのはチームメートの存在だった。私が必要だということを直接伝え、抱きしめてくれた。私はこの時、本当にいい仲間を持ったと心から感じた。
 部活動を通して、人をまとめることの難しさを学んだ。そしてそれと同時に仲間がいることの心強さやうれしさも学ぶことができた。キャプテンをしたことで、私は今まで考えていなかった気持ちを知り、とても成長ができたと思う。これを部活動の中だけでなく、学校生活や将来に生かせるように、もっと自分を磨いていきたい。

3.シキミをブランド品に
【井上達矢、高知農業高3年】
 森林総合科の学習活動で、シキミやサカキなどの切り枝を研究しています。これらは収穫すれば特別な手を加える必要がなく、手軽に収益が得られます。「中山間地域の活性化に良い」と考えました。
 今年度は、シキミを中心に取り組んでいます。シキミはお墓と仏壇に供えられることが多い仏花です。学校が所有する土地に、数十年前にシキミを植えたまま放置していた林があります。
 シキミの枝は多く茂り、ツルがたくさん絡まっていました。竹も生えており、作業は大変でした。森林技術センターへ講話を聴きに行き、台切りという作業が必要だと知りました。
 木の頂点を切り背丈を低くすれば作業がしやすくなり、きれいな枝も取れるようになります。実際にやってみると、背丈が低くなった分、日光が差し込み、新しい芽が生えてきました。台切りによって得られた枝を選別。束ねてから学校のふれあい市やアンテナショップで販売しました。売り上げは上々です。
 これからの課題は上質なシキミを収穫することや、束ね方の改善です。室戸市吉良川町日南のシキミ生産組合に見学に行き、実際の生産現場で勉強させていただきました。
 今後はサカキも植えて、切り枝を複数販売していく予定です。高知農業高校のブランド商品にできるよう、工夫を加え生産していきたいと思います。

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