2017.09.14 08:00

声ひろば 2017年9月14日、木曜日

1.夫の十三回忌
【国沢アツミ、85歳、主婦、四万十町】
 先日、智円寺の住職さんに夫の十三回忌の法要をしていただきました。ありがたい説法に心和み、ゆったり流れる時間に身をゆだね、夫と歩んだ日々を断片的に思いだしました。
 嫁いだものの環境の変化になじめず、不安でホームシックになり泣いていた私。夫に人生のイロハを教わりながら時を重ね、シャープ過ぎる夫の裏方を務める知恵もついてきました。わがままで甘えん坊だった娘しか知らない両親が見たら腰を抜かすほど、たくましい女に変身した私です。
 お互いの欠点を補いながら、従業員に助けられた50年。おかげさまで、この地が住めば都となりました。時には2人でスナックバーへ行き、社交ダンスを楽しむゆとりもできました。来年はクイーンエリザベス号みたいな豪華な客船で世界旅行に連れて行ってやると約束したのに、忘れたのか突然旅立ってしまいました。
 生きていてくれたら喜寿のお祝いもできたのにと、亡くなったあの日流した涙から13年。今も喪失感は波のようにおそってきます。時間がたつにつれても残るのは亡夫への果てしない愛情。共に過ごした残像がそこにいるようによみがえります。この感情は生涯繰り返されるのだろうかと、戻すことのできない年月の長さに気が遠くなる思いで迎えた十三回忌でした。

2.維新を学ぼう
【宇賀四郎、71歳、医師、香美市】
 県内では幕末維新といえば龍馬となり、他の話は聞くことは少なかったが、最近はその前後の時代に関しても多く語られるようになっている。
 しかし、龍馬と同時代を生きた土佐藩士が関わった「堺事件」について語られることは少なく、高知県人でも知らない方が多い。中学・高校時代の歴史授業でも、教えられなかった事は残念に思う。
 龍馬暗殺のわずか2カ月後、鳥羽伏見の戦いで敗走した幕府に代わり大阪の堺港の守備についた土佐藩士が関係した重大事件である。
 許可を得ず堺港に上陸してきたフランス兵との間で紛争となり、11人を死亡させた。フランスは20人の土佐藩士の斬首や賠償金等を要求。土佐藩の命により、フランス武官らの前で11人は切腹の上、介錯(かいしゃく)を受けた。残る9人は土佐に護送された後、幡多に流刑となった。はたして藩士らは罪人だろうか。
 今まで語られることが少なかったこの事件について、歴民館は維新150年に向け、多方面からの多くの史料を基に、初めて大々的に分析、展示を行うと聞いている。
 長年にわたり埋もれたままの多くの史料も、明らかになるはずである。楽しみにして期待している。激動の時代を少しでも知りたい。森鷗外の小説「堺事件」はこの事件を題材にしたものである。

3.金婚式を迎えて
【山田ひろ子、68歳、主婦、黒潮町】
 お盆が済んだと思ったら、もう9月半ば、今年の夏は特別暑かったように思います。クーラーが忙しかったこと!
 私ごとですが、両親をみるために帰高して15年。父は帰高後9カ月後に、母はその8年後に他界しました。今はそのために連れ添って来てくれた夫と2人で、田舎生活を送っています。
 先日の9月1日に第60回金婚夫婦祝福式典、四万十会場に参加させていただきました。
 夫が申し込んでみようかと言ってくれたからです。数々の祝辞や記念品などいただいて帰りました。出席させてもらって良かったねと話した事でした。そのことで知人、友人からの電話やメール、手紙など思いがけない方々の祝福にびっくり!! 2人して元気で50年を迎えられた事に感謝です。ありがとうございました。
 仲良しの友人からのサボテンの寄せ植えも、花ことばのごとく愛いっぱいに元気です。これからも変わらず一日一日を大切にできることをして頑張ろうねと話しました。 

4.大島青松園
【小野山洋子、74歳、高知市】
 ある日、主人が「大島青松園に行く」と言い出しました。平成19年のことです。
 私たち家族4人が大島に着くと、出迎えてくれた人がいました。何度か地域の公民館に、講演に来てくれた森さんという方でした。
 私たちは大島の中を案内していただきました。「風の舞」という所では、主人がお経を唱えました。「風の舞」という塔の中には、亡くなった後も、故郷に帰ることができなかった方々の、ご遺骨が納められているということでした。
 その後、集会所で「島には100人前後の方が暮らしている」など、いろんな話を伺いました。森さんは「子どもの頃から、ここにいるので、私の帰る場所は、ここしかありません」とも言われました。返す言葉がありませんでした。船着き場では、いつまでも私たちを見送ってくれました。
 平成29年6月、かるぽーとで、ハンセン病の研修会があると聞いて、主人と出かけました。講師は77歳となった森和男さんでした。島では現在58人の方が、暮らしているとお聞きし、わずか10年で半数の方々が、亡くなったことを知りました。終了後に再会しました。
 私の心に深く刻まれたのは、森さんの「私たち全員が亡くなった後も、大島を私たちの故郷として、残してほしい」という悲痛な心の叫びでした。森さんの心の叫びと同時に、思い浮かぶのは、「風の舞」で大きな声で、長い間お経を唱えていた主人の姿です。


《中学高校生特集》

1.方言は文化
【山本あい、南国市香南中3年】
 「わからん」「いかん」「ひやい」など、普段何げなく使っている方言。意識していないだけで、私たちの周りにはたくさんの方言があふれている。
 例えば、雨を表すときにも「雨が降りゆう」や「雨が降りよった」「雨が降っちゅう」と微妙な表現ができ、わかりやすく使うことができる。もし、方言でなく共通語だったら「雨が降っています」と、少し硬い言葉になってしまう。
 このことから、私の生活には方言が強くしみついているなあと感じた。「方言」というと、東北地方などのくせの強い方言がイメージとして浮かび、同じ日本語でも会話に誤解が生まれるなど困る点ばかりが思い浮かんでしまう。
 しかし、難解で少しきつい方言に親しみやすさや懐かしさを感じるのは、私だけではないと思う。それは、方言が高知の魅力、文化を乗せているからであろう。これからも私は高知の文化を、方言を大切にしていきたい。

2.ハンセン病について
【尾崎晴、追手前高1年】
 私はこの夏、ハンセン病の学習をしに、香川県にある大島青松園に行きました。そこでは、施設見学や高知県出身の野村さんからハンセン病についてのお話を聞きました。
 ハンセン病とは、らい菌による感染症で感染力が弱く、非常にうつりにくいものですが、衛生・栄養状態が悪いと感染しやすくなります。治療法がなかった時代は手足に後遺症が残り、差別や偏見の対象にされました。
 ハンセン病にかかった人は、国の政策によって強制的に療養所に収容されていました。現在は治療法が確立され、早期発見と適切な治療で後遺症を残さずに治す事ができます。
 私はこの学習会に参加するまで「ハンセン病」という言葉は聞いた事があるけれど、具体的にどんな病気でどんな社会問題を引き起こしたものなのか、よく分かっていませんでした。多分、私と同じように「よく分からない」という人も多いのではないでしょうか。
 ハンセン病問題は、現在進行中の人権問題です。だからこそ、何も知らない私たちの世代が、ハンセン病について正しい知識と理解を持たなくてはならないと、私は考えました。
 元患者さんの高齢化が進み、近い将来、日本から「元ハンセン病患者」はいなくなります。ハンセン病問題を風化させてはいけません。解決の鍵を握っているのは私たちなのです。

3.農業高での学び生かす
【南美有、高知農業高3年】
 3年前、進路に悩む中学生の私は、祖母が農業をしているという理由で、高知農業高校に行くと決めました。
 入学して初めての実習。やるまでは、野菜を育てて収穫するだけだと思っていました。でも、それだけではありません。土づくりから、作物の管理、収穫したものの販売まで行います。
 さらに、食べ物の大切さ、作る人への感謝、命の大切さも学ぶことができました。3年生になった今は、入学時より知識も増えました。その知識を生かせる場面もあり、「高知農業で学んでよかった」と思えます。さらに、この学校でたくさんの人と出会い、たくさんの「ありがとう」ももらうことができました。
 私は将来、農業を職業にしません。保育士として子どもたちの成長を支えたいと考えています。でも、農業高校で学んだ命の大切さは、子どもたちにも伝えることができるはずです。
 食事の時のいただきますやごちそうさまには感謝の意味があることも伝えることができるはずです。農業高校で学んだ多くのことが、私の将来にも生かせるのです。
 そのためにも、残りの高校生活を意欲的に過ごしていきたいと思います。多くの仲間と汗を流しながら、実習やたくさんの行事に力を注いでいきたいと思います。

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