2017.09.08 08:20

共助の地図 障害者と考える震災ハザード(4)視覚障害 現状の受容が命左右

 「生き延びる」を意味する古い土佐の言葉を用い、高知新聞社が2016年に始めた防災プロジェクト「いのぐ」。その一つとして、障害のある人や家族、支援者の「いのぐ」を考えます。

 高知県に暮らす身体、知的、精神の障害者手帳を持っている人は約5万5千人(16年度末)。私たち記者もまず、彼、彼女たちの言葉、言葉にならない思いをみつめることにしました。

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白杖と点字ブロックで方向を確かめながら歩く恒石道男さん。ごみに進路を阻まれることもある(高知市内)
白杖と点字ブロックで方向を確かめながら歩く恒石道男さん。ごみに進路を阻まれることもある(高知市内)
 「最近、歩いていると助けてくれる人が増えました。信号赤ですよ、と教えてくれるとか」。そう話すのは高知市内のマンションで暮らす恒石道男さん(67)。「でも、危ないからと無言で引っ張られると、心臓が止まるかと思う。とっさの行動でも声は掛けてほしい」

 マンションから出てきた恒石さんの手には、白杖(はくじょう)。点字ブロックで方向を確かめ、慣れた様子で歩き始めた。

 10分ほどで同市越前町2丁目の小高坂更生センターへ。この中の県視覚障害者協会で会長を務めている。

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 「東日本大震災の時、避難所で視覚障害者が一番苦労したのがトイレだそうです。簡易トイレは普通のトイレと使い方が違うため、使い方が分からないからと、水分や食事を我慢した話を随分聞きました」

 「障害の程度はそれぞれ違うし、『見えないから何もできない』わけではない」。だが、そのことを周囲の人に説明できる場はない。

 「避難所で訓練があったというニュースを聞くけど、呼ばれたことがない。一緒に参加すれば何に困るのか分かってもらえる。行政主導でそんな訓練を増やすことが備えになると思う」

 「慣れたら自分で動けるし、教えてもらえればトイレも使える。避難所のリーダーとなる人にはそこを理解しておいてほしいです」

 避難所生活への心配は尽きない。だが、その前に越えなければならない“壁”がある。

 「私は網膜色素変性症で子どもの時から弱視。眼鏡で0・1あるかないかでしたが、生活はできていた」。理学療法士として働いたが、40代から視力と視野が徐々に失われた。

 「建物の輪郭が分からなくなり、ここ10年は明かりが分かるかな、という程度。それでも白杖はつきたくなかった。障害を認めたくなかった。歩行訓練を受けて自分で動けるようになったのは定年後です」

 恒石さんは視覚障害を受け入れることができるまでに「20年近くかかった」。同じような人は少なくない。だが、障害を受け入れることができなければ、震災時には命を左右しかねない。

 「自分たちは一人では絶対に逃げれん。助けてもらうには、自分の存在を知ってもらうこと。そのためには白杖をつく姿を日頃から見せないかんのですが、訓練を受けなかったり、『障害を知られたくない』と家から出ない人は多いです」

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 当事者団体による東日本大震災視覚障害者支援対策本部は、震災1年の活動報告でこう指摘する。各県の視覚障害者団体が住所を把握していた人は「(障害者)手帳所持者の十数%」で「多くの方々が(中略)ひっそりと声も出さずに生活」していた、と。

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カテゴリー: 社会いのぐ高知中央災害・防災


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