2017.09.08 08:20

文化財の所有者頼み限界 武市半平太の生家所有者が死去 高知市

「龍馬伝」ブームに沸く中、いつ観光客が訪れてもいいように、庭を手入れしていた坂本美栄さん(2010年5月、高知市仁井田)
「龍馬伝」ブームに沸く中、いつ観光客が訪れてもいいように、庭を手入れしていた坂本美栄さん(2010年5月、高知市仁井田)
受け継ぐ長女 「いつまでできるか」
 幕末の志士、武市半平太の生家は、高知市の外れにひっそりとたたずむ。国の史跡にも指定されているこの家は、所有者の坂本美栄さんらが居住しながら管理し、観光客を迎え入れてきた。しかし今年1月、坂本さんが95歳で死去。市中心部に住む長女の堀川田鶴さん(69)が管理を引き継いだものの、毎日の世話は難しく「いつまで続けられるか…」と苦慮している。
1月に坂本さんが亡くなり、長女の堀川田鶴さんが生家の管理を引き継いだ(高知市仁井田)
1月に坂本さんが亡くなり、長女の堀川田鶴さんが生家の管理を引き継いだ(高知市仁井田)

 半平太は文政12(1829)年、この家に生まれ、22歳ごろまで過ごした。間取りや内装はほとんどが半平太が暮らした当時のままで、1936年に国の史跡に指定された。県内に12カ所ある国史跡で唯一の個人宅で、近くには半平太と妻、富が眠る墓もある。

 南国市稲生で生まれた坂本さんは、教員として地元の国民学校で勤務した後、1946年に高知市仁井田で農業を営んでいた義路(よしじ)さんと結婚。義路さんが暮らすのが、半平太の生家だった。

 かつては熱心な歴史ファンのみが足を運ぶ知る人ぞ知るスポットだったが、NHK大河ドラマ「龍馬伝」ブームに沸いた2010年は、休日のたびに観光バスが押し寄せた。

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 記者はそのころ、当時88歳だった坂本さんを取材した。

 「取材するによびませんよ」。初めはやんわりと断っていた坂本さんだったが、何度か生家を訪ねるうちに、いろいろな話を聞かせてくれた。

 生家は断熱性が低く、夏は暑く、冬は寒くて体にこたえる。段差が多く、土間の上がり口は高さが50センチもある。それでも国史跡なので修理や改修にも国の許可が必要で、上がり口には踏み台を置いて「よっこいしょ」と上がっている。

 夜中や早朝に観光客が勝手に家に入り、客間でくつろいでいたこともある。自分の家であって、自分の家でないような気がする。

 その年の4月、60年以上連れ添った義路さんを亡くしていた。寂しい気持ちはあるけれど、この家を守っていきたい--。

 生家で過ごした日々を、笑いながら振り返った坂本さん。そのおおらかな人柄と、観光客を温かく迎え入れる優しさに、たびたび訪れるファンもいた。

 娘の堀川さんによると、転倒して大腿(だいたい)骨を骨折した時も、誤嚥(ごえん)性肺炎になって苦しんでいた時も、坂本さんは病院で「早く家に帰りたいねえ」と話した。

 「一緒に暮らそうか」と堀川さんが持ちかけても、「ありがとう。でも、この家が好きやから」と聞き流した。バリアフリーにはほど遠く、決して利便性は良くない家に、深い愛着があった。

 今年1月、坂本さんは体調を崩して入院し、2日後には眠るように息を引き取った。堀川さんら家族は出棺まで一緒に過ごすため、「最期ぐらいは」との思いで、亡きがらを客間に安置した。坂本さんは終生、観光客やファンがいつ来てもいいようにと客間を美しく保ち、自分は一度も使わなかったという。

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 盛夏、久しぶりに生家を訪ねると、母に代わって管理を引き受けた堀川さんが出迎えてくれた。生家の周りはセミの鳴き声だけが響き、ゆっくりとした、静謐(せいひつ)な時間が流れていた。

 半平太の周辺はいま“にぎやか”だ。今年、来年は大政奉還、明治維新からそれぞれ150年に当たる。夏には半平太が主人公の漫画を原作にした映画「サムライせんせい」のロケが県内各地で行われ、11月から上映が始まる。生家を訪れる観光客は再び増えているという。

 気になるのは、生家の管理の行方だろう。堀川さんは「母とそんな話をする間もなく、突然亡くなったので…。まだ、全然決まっていません」。

 堀川さんも25歳までこの家で過ごした。「自分が元気なうちはきれいにしておきたい」と週に1、2回は生家に出向いて窓を開け、風を通して草を引いたりする。

 夏は雑草が生い茂る。「1時間、草引きしただけでも倒れそうになった。誰が来てもいいように、いつも庭をきれいにしていた母のすごさを思い知りました」

 車での往復も含め、自宅から離れた家の管理には負担感もある。こんなこと、いつまでできるだろうかと悩みながら、半平太の生家を訪ねる日々を続けている。
維持管理に負担がかかることなどから取り壊された「旧藤村製糸工場跡」の旧倉庫(2013年10月、奈半利町乙)
維持管理に負担がかかることなどから取り壊された「旧藤村製糸工場跡」の旧倉庫(2013年10月、奈半利町乙)

■文化財の所有者頼み限界 地域ぐるみで保存を■
 所有者の死去に伴って文化財の管理が課題となるケースは、武市半平太の生家に限らない。県内では同様の事例が散見され、「所有者頼み」の管理は限界に来ている。

 歴史的な建造物や古民家など、37件の登録有形文化財がある安芸郡奈半利町。町並みを生かした地域おこしに取り組む「なはり浦の会」の森美恵会長(68)は「所有者が亡くなり、親族も町外にいるため、文化財の状態がどんどん悪くなるパターンはよくある」と話す。

 固定資産税などの維持費が所有者の負担になり、多くが朽ち果てたり、やむなく解体されたりしたという。明治時代から「奈半利の象徴」とされ、国の近代化産業遺産にも指定された「旧藤村製糸工場跡」は、2013年に施設の大半を取り壊した。

 森会長自身、「土佐の交通王」と呼ばれた野村茂久馬が約100年前に建てた旧邸に住んでおり、「古い家なので改修にはお金が必要で、個人の思いだけではやっていけないのも事実」と話す。

 半平太の生家の管理について高知市教委の民権・文化財課の山岡奈穂子課長は「歴史的価値のある生家を残していくため、どういう形が望ましいのか。今後、所有者と話し合いをしていきたい」としている。ただ、行政側も文化財保護に充てる人員や予算に限りがあるのが現状だ。

 「行政も所有者も管理が負担になり、文化財が老朽化していくのは不幸なこと」。そう話すNPO高知文化財研究所の溝渕博彦代表は、「例えば地元の人などで保存や修繕、活用を担うNPO法人を立ち上げ、管理を担う。個人と自治体の中間のような組織が、地域ぐるみで文化財を守っていくのも一案だ」と提案している。

カテゴリー: 社会文化・芸能


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