2017.08.24 09:10

【いのぐ記者の熊本報告2】被災後の暮らし模索

 4人の中学生にとって、目に入る光景、聞く話すべてが圧倒されるものだった。
 
 安芸市出身で西原村に住む山岡縁さん(42)の家を訪ねた。玄関前のコンクリートの階段や壁にひびが入っていた。激震で家中の物が飛び交ったこと、避難した車の中で11歳の長男がガタガタと震えていたことなどを聞いた。
 
 「この世の終わりかと思った」という山岡さんの言葉は大げさに思えなかった。明徳義塾中3年の水野みやびさん(14)がメモを取る手を止めたのは、被災後の生活に話が及んだ時だった。
 
 山岡さんの家には当時2歳から11歳までの子どもが4人。その友達も来て遊んでいたところ、近所から「うるさい」と苦情を受けたことがあるという。
 
 水野さんは「それでも頑張ろうと思えたのはどうしてですか?」と聞かずにはいられなかった。水野さんには10歳下の弟がいて、小さい子どものいる家が大変なことは知っている。
 
 もしいま南海トラフ地震が起きたら、私は頑張れるだろうか―。自信はなかった。しかし、山岡さんの答えに気持ちが楽になった。
 
 「そうするしかなかったからね」。どんな状況でも生活は続けないといけないでしょ、何より子どもの頑張りが励みになったんです、と。
 
 山岡さんの長男は土のうを作るボランティアに参加したと聞いた。地元の中学生たちが自分たちで原稿を考え、防災無線で村民にエールを送ったことも初めて知った。
 
 「被災者を支える率先者になることが大切。中学生にもできることはある」と水野さんは話す。
 
 城西中2年の田部祥一朗さん(14)も被災後の生活に不安を持っていたが、少しずつ不安は少なくなった。
 
「避難所でできた絆はかけがえのない財産」と話す吉村静代さん=中央。4人の避難所のイメージががらりと変わった(益城町のテクノ仮設団地)
「避難所でできた絆はかけがえのない財産」と話す吉村静代さん=中央。4人の避難所のイメージががらりと変わった(益城町のテクノ仮設団地)
 「避難所は明るく楽しくできるのよ」。益城町にあるテクノ仮設団地で自治会長を務める吉村静代さん(67)からそう聞いた。
 
 吉村さんのいた避難所は開設から2カ月で、避難者自身が自主運営できるようになった。その秘訣(ひけつ)を吉村さんは「何はさておき仲良くなること。それと思いやり」と何事もないように言った。
 
 その言葉が田部さんは信じられなかった。熊本地震のニュースから、避難所はプライバシーがなくストレスを感じる場所というイメージが強かった。
 
 「戸惑ったことはなかったですか」「批判する人はいなかったんですか」。真偽を確かめるように質問をぶつけた。
 
 「何でも言い合えるだけの人間関係ができてたから、大丈夫でしたよ」。吉村さんの答えは明快だった。
 
 自分が暮らすならこんな避難所にしたい、と思えるようになった。そして、高知に帰って学んだことを地区の人たちに伝えたい。今までなかった感情がこみ上げてきた。


被災体験を話してくれた木山中学校の生徒たちと。同年代の言葉は心に深くしみこんだ(益城町の木山中)
被災体験を話してくれた木山中学校の生徒たちと。同年代の言葉は心に深くしみこんだ(益城町の木山中)
響いた同世代の言葉
 益城町の木山中2、3年生4人との交流も、高知の4人にとって大きな財産になった。同年代の言葉は身近で、心に響いた。
 
 「避難訓練はちゃんとしてたけど、なめてたというか…。実際に地震を経験してから、大事だったんだなあと思っています」
 
 同校3年の後藤壮梧さん(15)の言葉に、明徳義塾中の水野さんは自分自身が重なった。
 
 学校での避難訓練はあくまで訓練。実際に地震は起こらないと分かっているから、走らないし、周りの生徒にも「真剣味はないかも」。しかし後藤さんの話を聞き、「みんなに『真剣にやろう』って言っていく」と考え直した。
 
 市立中村中の中屋さんは熊本の中学生に聞きたいことがあった。
 
 「地震が起きて嫌な記憶もあると思う。この町をどう思っていますか」
 
 後藤さんは少し考えてから答えた。「いい所だなって改めて実感できたし、郷土愛が芽生えた」。他の3人も「この町が大切」と言い切った。
 
 中屋さんは、ほっとした。これからを担う中学生が、地元を一番大切な場所だと言っていたことがなぜかうれしかった。自分たちもきっと同じだと思えた。


断層がずれたことで地表の構造物も壊れた。奥に見える側溝と手前の側溝はもともと真っすぐつながっていた(益城町)
断層がずれたことで地表の構造物も壊れた。奥に見える側溝と手前の側溝はもともと真っすぐつながっていた(益城町)
伝えなければ
 4人の心に灯をともした言葉がある。
 
 「阪神淡路から中越、東日本と、被災した経験や知恵をつないでくれる人がいる。そのバトンを私たちは受け継いできているから、今度は次につなげなきゃ」
 
 益城町の吉村さんから聞いた話だ。
 
 2泊3日の旅の間に熊本の人たちは多くの体験を聞かせてくれた。時に涙ぐみながら、懸命に語ってくれた。
 
 市立中村中の中屋さんは「この地震を生かしてほしいって思いが伝わってきた。私らもバトンを受け取って、また新しいものを伝えていけたらって希望が見えた」。
 
 明徳義塾中の水野さんは「災害から教訓を受け継ぐこともできる。それを他の人に伝えるのが自分の役目」と考え、高知に帰ってから友達に熊本での話をした。夜須中の広内さんも家族に詳しく話したという。「私が見た、感じたことを伝えて、地震に関心を深めてもらいたい。それが誰かの命を守ることに近づけばいいな」
 
 城西中の田部さんはこれまで、町内会の防災訓練に参加したことがなかった。そこまでの興味はなかった。しかし、今は違う。「機会があれば学んだことを発表したい。それで地区で被害に遭う人が少なくなったらと思う」
 
 高知のため、次の世代のため。この夏、中学生たちは小さな、しかし力強い一歩を踏み出した。

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カテゴリー: 社会いのぐ2016熊本地震災害・防災


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