2017.07.09 08:05

絆深め地震に備えを 高知県佐川町で「いのぐ塾」 

佐川中学校の生徒を前に東日本大震災の話をする阿部博之さん(7月8日午後、高知県高岡郡佐川町甲の佐川中学校)
佐川中学校の生徒を前に東日本大震災の話をする阿部博之さん(7月8日午後、高知県高岡郡佐川町甲の佐川中学校)
 南海トラフ地震に備え、高知県民に防災意識を高めてもらう高知新聞社主催の「佐川いのぐ塾」が7月8日、高知県高岡郡佐川町甲の佐川中学校で開かれた。講演や住民同士の語り合いを通し、地域の防災課題や中山間での地震への向き合い方を確認した。高知新聞社が進める防災プロジェクト「いのぐ」の一環。

 東日本大震災の時、宮城県南三陸町で消防団員を務め、現在は震災の語り部活動を行っている阿部博之さん(59)が、佐川中学校の生徒や保護者ら約320人を前に講演した。

 津波の被災を免れた阿部さんは消防団員としての責任感から、沿岸部で救援活動を行った。「地域の人たちを知っている団員だからこそ、できる活動がある」と振り返り、普段から人がつながることが大事だと訴えた。

 南海トラフ地震に備え、高知の人にしておいてほしいこととして「3日間は自力で生き抜ける用意」「災害が起こりそうな場所など町をよく知る」ことなどを挙げた。

 住民同士の語り合いでは、佐川町の自主防災組織の組織率は上がったものの、具体的な備えができていないことや、地震に対する危機意識が薄いことなどが課題として出た。

 「いのぐ塾」は、東北のブロック紙、河北新報社(本社・仙台市)の協力を得て、2016年から高知県内各地で開催しており、今回が4回目。


地域の課題や中山間での防災について語り合う住民ら(7月8日午後、高知県高岡郡佐川町甲の佐川中学校)
地域の課題や中山間での防災について語り合う住民ら(7月8日午後、高知県高岡郡佐川町甲の佐川中学校)
佐川町「いのぐ塾」で住民意見交換 共助の仕組み浸透を
 高知県高岡郡佐川町で7月8日開かれた高知新聞社主催の「佐川いのぐ塾」。講演した宮城県南三陸町の阿部博之さん(59)は東日本大震災の経験を踏まえ「生きることは当たり前のようでとても大変。自分にできることを自ら考え、動くことが大切」と訴えた。地元住民らによる「語り合い」では、内陸地域が抱える災害時のリスクや危機意識の低迷といった課題に地元の自主防災組織メンバーら10人が向き合った。地震をはじめとした災害が起きた時、自分の命を守り、誰かを助けるために何ができるのか。参加者は不安や解決策を語る中で、今後の防災の在り方を探っていった。

《参加者(敬称略)》
吉村 典宏(佐川地区自主防災連絡協議会長)
田村 和裕(佐川町社会福祉協議会あんしん生活支援センター長)
徳弘 信也(高吾北消防署員)
斎藤 郁夫(佐川町消防団佐川分団長)
秋沢由季恵(佐川町民生児童委員佐川東地区長)
岡本 愛夏(佐川中学校3年)
沢村 幸子(佐川町若草保育園主任保育士)
阿部 博之(元南三陸町入谷消防団副分団長)
大泉 大介(河北新報社防災・教育室記者)
山崎水紀夫(NPO高知市民会議理事)

 東日本大震災以降、「津波」が防災を語る上で大きなキーワードになった。内陸に位置する佐川町は津波の心配こそないが、だからこそ抱える課題もある。

 佐川町で民生児童委員をしている秋沢由季恵さん(69)は「そんなに危機感を持っていないと思う」と切り出した。ただ、高吾北消防署員の徳弘信也さん(46)は「津波が来ないから安心かと言えばそうではない」。家屋倒壊、道路の遮断といった事態が想定されると指摘した。

 佐川地区自主防災連絡協議会長の吉村典宏さん(62)は、佐川町内の自主防災組織の組織率は高いが活動率が低い現状を懸念している。「何をやったらいいか分からないという声が多い。高齢化も進み、活動自体ができなくなる可能性もある」

 東日本大震災の際、支援の手は津波被害が甚大だった沿岸部に集中し、内陸地にまで回らなかった。中山間の佐川町でも同じような事態が予想される。

 そんな中で重要になるのが住民同士の助け合いだ。佐川町社会福祉協議会は5~10軒の家を一つの組として名簿を作り、地域連携を災害時にも生かそうという「防災となり組」の活動に取り組んでいる。佐川町社会福祉協議会の田村和裕さん(45)は「ご近所同士で声を掛け合い、災害時には元気な人が被害に遭っている人を助けようという取り組み。ただ、結成率は2割でまだまだこれから」と話す。

 名簿には同意の上で家族構成や連絡先を記載している。そこで話題に上ったのが個人情報の問題だ。自主防連絡協の吉村さんは「地区の信頼関係がなければ」。佐川町消防団佐川分団長の斎藤郁夫さん(58)は「悪意を持った人の手に渡ってしまうと危険」と心配した。

 河北新報社の大泉大介さん(45)は東日本大震災の経験から、「個人情報を守ったがゆえに、あの人の命を守れなかったという無念さの方がいかにきついか」と紹介。その上で、「個人情報を守って命を守らないという本末転倒な感じに時代がそろそろ気付いて」。佐川中3年の岡本愛夏さん(14)は「知らない人のことも知ることができる、コミュニケーションが取れたら災害の時も役立つ」と賛同した。

 進行役のNPO高知市民会議理事の山崎水紀夫さん(53)も各地での災害支援の経験を基に「(行政が)床上、床下浸水の家すら教えてくれない状況がある。何を大事にしているんだろうと思う」。

 佐川町には、お互いの顔が見える住民の結び付きは残っているものの、近隣の自治体から佐川町に引っ越してきている人も多い。自主防連絡協の吉村さんは「となり組は非常に大事だが、一体になるのには時間がかかるのでは」と話した。

 ■  ■ 

 防災意識の希薄さ、活動の低下…。佐川町だけでなく各地から聞かれる課題だが、防災活動は地道な取り組みが大事だとの意見が相次いだ。

 佐川町若草保育園で保育士をしている沢村幸子さん(56)は「災害が起きると子どもたちに話をするんです。その話を、子どもが家でするそうなんです。保護者から感謝されることがある」と、教育の効果について触れた。

 河北新報の大泉さんは、普段からバッグにラジオや氷砂糖などを常備しているという。「このぐらいのことは大変なことではないですよね。毎日ヘルメットをかぶって生活する必要はないんです」と手軽にできる防災を紹介。「一人一人ができることをやれば地域の防災の底力が上がる」と力を込めた。

 東日本大震災当時、宮城県南三陸町で消防団の副分団長をしていた阿部博之さんも「課題はどっさりあるが一気に解決できない。一つ一つをつぶしていけばいいんです」。民生児童委員の秋沢さんは佐川いのぐ塾に参加して、こんなことを思っていると結んだ。「阿部さんが講演の中で『人を知る』『道を知る』『土地を知る』ことが大事と言っていた。まずは、山できれいな水が出る所を見つけておこうと考えています」



佐川町の中心部。盆地状の平野部に人家が立ち並ぶ
佐川町の中心部。盆地状の平野部に人家が立ち並ぶ
【佐川町】
 佐川町は山に囲まれた盆地の町。人家が多く集まる平野部は山間部からの土砂が堆積しやすい軟弱地盤で、地震の揺れは増幅されやすい。山間部は斜面の傾斜が急にきつくなる場所が多く、その周辺では土砂崩れが起こりやすいとされる。

 こうした地形的特徴を基にした町の被害想定によると、震度6強の揺れによって約1400棟の建物が全壊する。死者は約90人、要救助者は約760人にのぼるとしている。

 急傾斜地の崩落で約10棟の建物が全壊するほか、大規模火災も起こり約60棟が焼失する。それぞれで死者も出ると想定している。

 地震発生から1週間後の避難者は約1700人を想定。佐川町内には拠点避難所が13カ所あり対応は十分できる。町民の避難だけでなく、津波被害が想定される高知県須崎市などと協定を結んでおり、要請があれば町外の住民も受け入れる予定だ。

 佐川町の6月1日時点の人口は1万3154人。


元南三陸町消防団副分団長 阿部 博之さん講演
 南三陸町では志津川、歌津、戸倉という、海に面する三つの地区で大きな津波の被害が出ました。私が住む内陸の入谷(いりや)地区のほとんどは被害を免れたが、海から約2キロ離れた所にも津波は届きました。そこは「大船沢(おおぶねさわ)」という地名で、「津波で大きな船が流されてきたことがある」と言われてきた場所です。私はまさかこんな所までと思っていましたが、6年前の津波で実際に船が流されてきました。

 あの大津波で約600人の町民が犠牲となり、今も約200人が行方不明のままです。

 あの日、何が起きたか。専業農家の私はリンゴの木の剪定(せんてい)をしていました。立っていられないほどの揺れで、必死で木にしがみついたんです。海の方向からはサイレンが鳴り響き、「高台に避難してください」という防災無線が聞こえてきます。

 消防団員として住民の安否確認をするため、地区内を走り回りました。ふと気付いたら、サイレンの音が聞こえない。聞こえてくるのはドカーン、ドカーンというプロパンガスの爆発音。とんでもないことが起きていると実感しました。住民には避難所に集まるよう呼び掛け、女性には炊き出しをお願いしました。

 自衛隊も来ないし、国や南三陸町からも何の指示もない。組織として動けるのは私たち消防団だけ。翌朝、団員50人が集まり、がれきの山を抜け、ぬかるみの中を沿岸近くにある志津川病院に向かいました。津波警報は出たままで、川を見れば波が行ったり来たり。今にも津波が襲ってきそうな状況でした。

 病院は4階まで被災し、5階に上ると避難していた患者や住民らの目が一斉に私たちに向けられました。「助けが来た」という目でした。プレッシャーの中で、どうやって連れ出せばいいのか必死に考えました。引き潮で水が引き始めた時、屋上から安全に歩けるかを確認し、約120人を近くの高台に誘導することができました。

 使命感と責任感に突き動かされての行動だったが、無謀なことをしたという思いもあります。人命救助の経験もなく、装備はスコップととび口だけ。丸腰に近かったんです。水や食料も用意していませんでした。今振り返れば、団員の命を危険にさらしてしまったと反省しています。

 南海トラフ地震が発生した時、佐川町は津波で被災する須崎市からの避難者が来ると言われています。避難所を開設するときは世帯ごとに区切る仕切りがあるといいし、冬であれば暖を取るための備えもいるでしょう。

 国や自衛隊の支援態勢が整うまで3日はかかります。皆さんは地震の時、佐川町にいるとは限らない。学校行事で隣町や沿岸にいるかもしれない。万が一のことが起こりうることを頭の隅に置き、まずは3日間を自力で生きなければいけません。

 まず水の確保が重要。まきや炭の備えがあれば暖を取ることもできるし、煮炊きもできます。かまどや缶詰でもごはんを炊けます。子どもたちにも、ぜひ日頃からそうした訓練をしておいてほしい。

 そして、「人」を知ることです。災害時に助け合う人と接し、顔を見せ合い、交流しておく。そうすることでマニュアル的ではなく、その人のために何ができるか、何に困っていて、どういう助けができるか、リアルに考えることができます。行政に頼るのではなく、自ら考え、自ら動くことが大事です。平時から「お互いさま」の関係を築いてほしいと思います。


助ける側の人間に 佐川中生が感想語る
 「佐川いのぐ塾」では、地元の佐川中学校の全校生徒約250人が東日本大震災の語り部、阿部博之さんの講演を聴き、2年生の希望者7人は地域住民らによる語り合いにも耳を傾けた。

 7人は東日本大震災の時は小学1年生。片岡薫さん(14)が「被害の想像がつかなかった」と言うのは当然で、この日、阿部さんの講演で当時の映像を見て、山本一颯(いぶき)さん(13)は「バスが津波にのみ込まれそうになっていた。怖さが分かった」。

 被災地で消防団や中学生ら多くの人が協力したことを知り、岩佐春奈さん(13)は「地域に信頼感があったから協力できたと思う」と話した。

 語り合いでは、内陸の佐川町も地震被害とは無縁でないことを知った。戸梶茉由香さん(13)は「土砂災害を知り、海がなくても大丈夫じゃないと思った」と言い、山本渉太さん(13)は「道路が被災すれば孤立状態になる」と心配する。

 岡林このみさん(13)は「佐川町民が地震に対する危機感を持つことが課題」と話し、下八川和人さん(13)は「佐川町には高齢者も多い。知り合い以外のお年寄りも助ける立場の人間になりたい」と誓った。

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カテゴリー: 社会教育いのぐ災害・防災


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