2017.06.16 14:55

龍馬「最長」の手紙発見 高知県が購入へ

激動の慶応2年の出来事を家族に伝えた龍馬の手紙(6月16日午前、高知県庁)
激動の慶応2年の出来事を家族に伝えた龍馬の手紙(6月16日午前、高知県庁)
 坂本龍馬の手紙の中で「最長」とされる家族宛ての手紙の一部を北海道の男性が所有していることが分かり、高知県は購入を決めたと6月16日発表した。幕府側の襲撃を受けた寺田屋事件や自ら参戦した幕長戦争について書いたよく知られた手紙で、これまで写本は見つかっていたが、原本は長く所在不明だった。手紙を鑑定した京都国立博物館の宮川禎一・上席研究員は「薩長同盟を周旋するなど龍馬の生涯で激動の年だった慶応2(1866)年の総決算として意味が大きい。龍馬らしい表現に満ちあふれ、とてもいい手紙だ」と話している。

 手紙は1866年12月4日付で、長崎で龍馬が兄・権平らに宛てて書いたもの。写本から内容は全て判明していたが、所在が分からなかった龍馬直筆の手紙の一部が6枚の半紙(縦25センチ、横24・1~34・3センチ)に書かれて残されていた。

 約5800字が書かれた全長約6メートル(推定)の複数枚にわたる手紙で、6枚の半紙に書かれたのは全文の4割程度。ピストルで幕府側に応戦した寺田屋事件の詳細を書いた冒頭部分や西郷隆盛らの人物評を記した後半部は欠けている。

 高知県によると、所有者の祖父は明治期に北海道に渡った坂本家の親族の知人。龍馬のおい・坂本直の妻から1913年に譲り受けたとする記録が伝わっている。男性から2016年11月に高知県立坂本龍馬記念館に手紙の譲渡の打診があり、高知県が県内外の専門家5人による「高知県文化資料収集審査会」(宮川禎一委員長)で鑑定を行い、筆跡や内容などから龍馬の真筆と確認された。

 手紙で、寺田屋から脱出し薩摩藩邸にかくまわれた龍馬は「事件の時うれしかったのは、西郷が事件の一報を聞き、自ら短銃に弾を込めて、私を助けに来ようとしてくれたことです」などと書き、指の負傷の回復具合も詳細に記している。

 また、幕府側と長州藩が戦った幕長戦争で、龍馬は下関海峡での海戦で蒸気船「桜島丸(ユニオン号)」に乗船。高杉晋作らが指揮した陸上戦で長州方に50人の死者が出たことに触れて「以前なら戦場というと人がおびただしく死ぬものだと思っていたが、実際は10人も死者が出るような戦闘であれば、よほどの激戦ということになります」と初めての“戦争体験”をつづっている。

 高知県は、高知県議会6月定例会に提出する一般会計補正予算案に購入費1330万円を計上。手紙は、高知県立高知城歴史博物館で2017年秋に初公開され、2018年春にリニューアルオープンする龍馬記念館でも展示される予定。


龍馬が父の命日に思い込めた手紙 高知県立龍馬記念館「目玉史料に」

高知県が購入する龍馬直筆の手紙。龍馬自身が付けた折り目もはっきり残っている(高知県提供)
高知県が購入する龍馬直筆の手紙。龍馬自身が付けた折り目もはっきり残っている(高知県提供)
 長年行方が分からなかった慶応2(1866)年12月4日の家族宛ての龍馬の手紙。研究者は、龍馬の父・八平の命日だった「12月4日」の日付に着目する。約140通ある龍馬の手紙の中で「最長」とされる直筆の手紙からは、家族への思いや自身の近況を家族に伝えようとする龍馬の息遣いが感じられる。

 薩長同盟の締結(1月)、寺田屋事件での負傷(1月)、妻・お龍との新婚旅行(3~4月)、盟友の土佐藩士・池内蔵太の水難死(5月)、自らも参戦した幕長戦争(6~7月)。慶応2年の年末、激動の1年を振り返り龍馬は筆を執る。

 8月に鹿児島から長崎へ移った龍馬は、12月4日付で3通の手紙を家族に書いている。1通は、お龍との結婚や九州での新婚旅行について書いた長文の姉・乙女への手紙、もう2通は兄・権平らへの手紙。そのうちの1通が、今回の手紙だ。

 高知県立坂本龍馬記念館の前田由紀枝・学芸課長は、「3通全てを同日に書いたかは分からないが、八平の命日の12月4日という日には、龍馬の家族だけにしか分からないメッセージ性が込められている」と指摘する。

 今回確認された手紙では、自身の近況を詳細に伝えるほか、めいの春猪(権平の娘)のお産に触れ、その夫に武士の心構えを伝えるなど、龍馬の家族への気遣いがうかがえる。

 また今回の手紙にはないが、写本の後段では海援隊の結成や薩摩の西郷隆盛らとの交流にも触れ、兄に「『昔のはなたれが、何を偉そうに』などとお笑いになるのはやめてください」とつづっている。

 今回の実物の確認で研究者の注目を集めているのは、手紙の半紙のサイズや折り方、写本が写された過程など書誌学的な情報だ。

 龍馬は手紙の冒頭で「この手紙を親類などにお見せになる時は、必ず誰かに書き取らせてからにしてください」などと写本の作成を兄に依頼している。

 写本(個人蔵、龍馬記念館寄託)には、同12月4日付の権平宛ての手紙、寺田屋の女将・お登勢からの手紙など4通を書写。実物と写本では、大意には影響ないが何カ所か記述に異なる部分が見られ、比較研究が進みそうだ。

 また、6枚の半紙は縦25センチ、横30センチ前後。今回の手紙の一部で現存する海戦図や乙女の手紙の半紙とも紙質や寸法が一致する。龍馬が12月4日前後に同じサイズの複数の手紙を書いたことが分かる。

 龍馬記念館の三浦夏樹主任学芸員は「写本やその他の手紙などと比較して、紙の折り方や内容の解釈を検討していければ面白い」と話す。

 現在休館中の龍馬記念館は2018年春にリニューアルオープンを予定しており、目玉史料として展示を計画中。高松清之館長は「写本など当館が所蔵する関係史料と一緒に展示することで観客も楽しめる。また、今後手紙の残りの部分が発見されることにも期待したい」と話している。 

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カテゴリー: 文化・芸能坂本龍馬文化


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