安保法制 関連記事

安保法案は何を変えるか

15年9月17日付・朝刊

「私は細菌部隊にいました」

安保法案反対へ沈黙破る

元中村市教育長の谷崎等さん(92)

「今、語り継がねば」

公に語ることのなかった体験を訴える谷崎等さん

 「私は『関東軍防疫給水部』という細菌部隊にいました」―。旧中村市(現高知県四万十市)の元教育長、谷崎等さん(92)=四万十市佐岡=が、安全保障関連法案に反対する集会でこう切り出した。自身の戦争体験を公の場で語るのは初めてという。安全保障関連法案への疑問が膨らみ、多くの反対の声を押し切って進む国会審議。「戦争体験者の端くれになりましたが、やっぱり、今語り継がないかんと思って」。緊迫を増す動きが92歳を公の場へ突き動かした。

 12日夕。四万十市の四万十川橋(赤鉄橋)の下に、安全保障関連法案に反対する市民約180人が集まっていた。谷崎さんはつえを突きながら軽四トラックの荷台に上りマイクを握った。

 「細菌部隊というのは、その効力を試すため、度々実験を行わなければなりません。その実験は人体実験であります」

  ■ ■  

 谷崎さんは1944(昭和19)年4月、旧満州(現中国東北部)にあった関東軍防疫給水部のハイラル支部に赴任した。本部は黒竜江省ハルビン市で細菌兵器による人体実験を行っていた通称「731部隊」。谷崎さんのハイラル支部は「543部隊」と呼ばれていた。

 赴任から半年間は、細菌関連の教育。その後、敗戦までハイラル支部の衛生兵として医務室勤務や文書の整理などを任されたという。

 「コレラ菌、チフス菌、赤痢菌をシャーレに入れて培養するんです。最初はね、何をするか分からざった。やりよるうちに『細菌戦』じゃいう言葉が出てきて。国際法違反って分かって、えらい部隊に来たなって」

 自身は人体実験に関わらなかった。それでも、安達(アンダー)という実験所で731部隊が人体実験を繰り返していることは聞こえてきた。

 「捕虜や抗日運動の首謀者を実験所の十字架に掛けて、上空から飛行機で細菌弾を落とす。菌が降りかかった捕虜は悲鳴を上げる。その発病状態を研究するため捕虜をどこかに連れて行く、という話やった。これは、ざまな(大変な)罪悪や、と」

  ■ ■  

 谷崎さんは戦後、幡多地域の中学校で国語教師を務めた。宿毛市立東中学校などでは教頭。1982〜1985年は旧中村市教育長だった。

 「安保法案はやっぱり賛成しません。戦争ほど悲惨なものはないです。外地でいつ帰れるか分からん身の上になってみなさい」

 50代のころ、一度だけ中村中学校で体験を語ったことがある。それ以降は、何十年も語らぬままだった。

 なぜ、黙っていたのか。

 「やはり、特殊な部隊でしょ。あまり話したくなかった」

 今回は知人から「語っちょかないかん」と推された。毎日テレビで国会審議を見て、言っておかなければ、という気持ちも起きた。

 「今の時代だからすぐに戦争に結び付くとは思わんけど、戦争はちょっとしたことで起こりうる。集団的自衛権を持ち出すこと自体が心配なんです。戦争だけは絶対、避けないけません」

 教え子は千人を優に超えるという。

 「教え子に銃を取らすな。この合言葉で教育をしてきましたから。この思いは変わりません」

 731部隊 旧日本陸軍が細菌戦の研究、開発のために1933年に創設した特殊部隊。正式名称は関東軍防疫給水部で、旧満州(現中国東北部)のハルビンに本部を置いた。ペストやコレラ、炭疽(たんそ)などの病原菌を兵器化し、1942年以降、中国大陸で細菌戦を実行。また、中国人捕虜ら約3千人を「マルタ」と呼び、人体実験や生体解剖を行った。1945年6月時点で731部隊には約1300人、各支部には200人前後の部隊員がいた。幹部らは戦後、大学教授や製薬会社の要職に就いた。

  【写真】「戦争体験者からすれば、今回の法案は怖い」。公に語ることのなかった体験を訴える谷崎等さん(高知県四万十市中村大橋通1丁目)


 
総カウント数
本日は
昨日は

 ・「安保法制は何を変えるか」次の記事へ
 ・「安保法制 関連記事」トップページへ
 ・高知新聞フロントページへ