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15年7月9日付・朝刊

安保法案に1人で抵抗する自民・村上誠一郎議員に聞く

村上誠一郎さん

旧制高知高卒の伯父が戦死

 自民現職でただ一人「安全保障関連法案」に公然と異を唱える衆院議員の村上誠一郎さん。愛媛を地盤とする連続10期sのベテランが抵抗する背景には、太平洋戦争末期の学徒出陣で南方戦線に赴き、24歳で死没した伯父の存在がある。旧制高知高校で青春時代を過ごした伯父を思い、「戦争体験者がいればこんな法案は通らない」と語る。反対の立場を貫く思いと経緯を聞いた。 

【写真】戦死した伯父について涙目で語る村上誠一郎さん(東京都の衆議院議員会館)

人命の議論が優先されていない

 安全保障関連法案に自民党現職国会議員の中でただ一人反対を表明している元行政改革担当相、愛媛2区の村上誠一郎さん(63)は最近とみに伯父の話に触れ、法案を批判している。村上さんの伯父は旧制高知高校(現・高知大)出身で先の大戦で死没。村上さんは2014年春、あるきっかけでその伯父の遺影を初めて見たという。身近な戦没者の肖像に何かを感じたのだろうか。戦争を知らない世代が突き進む解釈改憲に孤塁の異議を唱え続けている。

村上誠一郎さん  6月下旬の衆議院議員会館。「遅れてすみません」と村上さんは100キロ超の巨体を揺らしながらやって来た。過去には特定秘密保護法に抗議し、集団的自衛権の行使容認にも反対し、ここ数日、取材依頼が殺到している。

 先般のFM放送や雑誌インタビューでは亡き伯父の話と合わせて法案を否定した。

 「若い自衛隊員を戦地に送るかもしれないのに、人命に対する議論が優先されていない、おかしい」

 「こんな法案、戦争を経験した故後藤田正晴さん、故梶山静六さん、野中広務さんが現役なら『おやめなさい』で終わりですよ」

 村上さんの伯父、安達健三さんは香川・琴平の大地主の長男で、旧制高知高校を経て京都帝国大学法学部に進学後、召集されてビルマ(現ミャンマー)で戦死したとされる。

 村上さんは2014年2月、見知らぬ人から手紙を受け取った。

 送り主は伯父の旧制高知高校時代の同級生、松山市の元高校教諭、志賀亮一さん(94)。便箋5枚の手紙に、こうあった。

 あなたの伯父さんと私は旧制高知高校の3年間、剣道部で練習し合った親友同士で、同じ大学(京都帝国大)に進み、実家を訪ねるなど入営前まで語り明かした。伯父さんの寮の部屋には〈天下を睥睨(へいげい)するような句〉が墨書され、政治家志望だった。

 さらに文面は集団的自衛権行使に盾突く村上さんをほめ、〈天上の私の親友もご満悦のこと〉ともあった。

 両親のいなかった安達さんは出征前、志賀さんに写真を託していたことも分かった。

 「うれしかったですよ。家に伯父の写真は一枚も残っていなかった」と村上さん。両親は息子の出征前に死没。戦後は農地改革で実家が没落した混乱もあり、村上さんの母は兄の形見がないことを悔いていたという。

 村上さんは志賀さんに写真を送ってもらい、伯父の顔を初めて見た。「色白の優男」といった母の言葉通り、眼鏡の奥の目が印象的だったという。

村上さんの伯父、安達健三さんの遺影

 「88歳の母は『6歳上の兄は私をかわいがってくれた。熊本の陸軍基地から戦地に向かう兄に見送りを頼まれ、熊本の駅で別れたのが最期になった』と語っていました。でも驚きました、伯父が政治家志望なんて知らなかったですから」

 伯父がどんな死を迎えたかは分からない。伝え聞いた話では「部下をかばい、塹壕(ざんごう)の入り口近くで命を落とした」。数日前に琴平で伯父の墓参りをしたという。墓石に刻まれた没年は昭和20年6月17日、終戦の2カ月前だった。

 父も衆院議員、父の兄も参院議員の村上さん。だが村上さんの成人前に2人とも病死した。「その時、伯父が生きていればなと思った」。1986年に初当選して以後、連続10期。「選挙では伯父の旧制高知高校時代の仲間が応援してくれたと、母が教えてくれた。今思えば伯父の人徳でした」

 安保法案では「これが許されれば、時の政権による恣意(しい)的な憲法解釈変更で憲法がねじ曲げられる」と危惧している。

 「このままでは違憲訴訟が起き、違憲判決が頻発する可能性がある」。なぜ、それがまかり通るのか。「特定秘密保護法で政府に都合の悪い情報は出なくなった」「小選挙区制導入で自民議員が党幹部に公認や比例順位、資金を握られ、逆らえなくなった」と語る。

 政界に導き出してくれた故河本敏夫・元通産相は旧制姫路高校時代、軍事教練中に反戦演説をし、学校を追放され、実家も勘当された。「この時代に国に逆らうってことは命を覚悟しての行為。今はそういう時代じゃないのに、当たり前のことが当たり前に言えない」と眉をひそめる。

 手紙を送った志賀さんに記者は電話をかけた。耳が遠くなったと、息子さんを通して取材に答えてくれた。

 「私と安達君は親友だった。当時のアルバムを開いてみると、彼の大きい写真があるのは当然だと思います」。「安達さんは死を覚悟して写真を預けたのか」と問うと、「死を覚悟して、でなく、生きて帰りたい。しかし不運に死ぬかもしれない。みんな同じ気持ちで兵隊になった」。

 旧制高知高校の同級生には戦犯として刑死した木村久夫がいる。インド洋カーニコバル島で従軍中、スパイ容疑の島民を処刑した事件で取り調べの通訳をしたことがあだとなり上官の罪をかぶる形になった。木村は遺書に〈満州事変以後の軍部の行動を許した全国民に(戦争の)遠い責任がある〉と書いた。

 木村と村上さんの伯父、志賀さんは同級生だった。「私は木村君とも仲がよかった。生きていれば木村君は学者、安達君は政治家になっただろう」。多くの学友が戦時下の高知での生活を楽しみ、どう生きるかを模索し、政治や学問を志しながら「国に殉じた」と志賀さん。

 「たくさんの学友の戦死を見送った私は国が戦争に挑むことはいかなる形にしろ絶対避けるべきと考える。それが学友をしのぶ道だ」

【写真】伯父の親友から送られた手紙を読み返し、涙ぐむ村上誠一郎さん(東京都の衆議院議員会館)

【写真】村上さんの伯父、安達健三さんの遺影。昨春、旧制高知高校の元同級生から送られてきたという。高校時代は剣道部の主将を務めた(志賀亮一さんのアルバムから)

  【旧制高知高校と出征】山登りをした時の写真

 旧帝国大学の予備教育機関として設立された官立の男子校の一つである旧制高知高校は板垣退助の誘致活動により、1923年に開校。卒業生に木村久夫、政治学者の京極純一、公文式創立者の公文公(とおる)など。白線帽にゲタ、黒いマントに身を包み、学校に伝わる寮歌を歌う独特の「バンカラ文化」があった。多くが東京や京都などの旧帝国大に進学した。

 戦前、大学や旧制高校などの学生・生徒は満20歳になっても徴兵が猶予されていたが、第2次大戦末期の1943年以降は、兵力不足を補うべく猶予を停止し、20歳以上の学生vを入隊・出征させた。学徒出陣と呼ばれる出征者は総勢10万人以上といわれ、特攻隊員などとして戦地に送られ、命を落とした。

【写真】 山登りをした時の写真。右端で笑うのが村上さんの伯父、隣が親友の志賀さん(志賀亮一さんのアルバムから)


 

 

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