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15年5月15日付・朝刊

高知県内の戦争体験者は訴える 「銃弾1発で終わり」

岡崎博俊さん

 野党などが「戦争法案」と呼ぶ安全保障関連法案が14日、閣議決定された。高知県内の戦争体験者は、何を思うのだろうか。

 高知県南国市大嚔ウの関田堯子さん(90)は、1945(昭和20)年夏の光景が忘れられないという。

 7月4日。アメリカ軍のB29爆撃機による「高知大空襲」で、高知市の大部分が焼き尽くされた。翌日、関田さんは負傷者の救護に向かう。

 「色の白い奥さんでした。首から腰までやけどして、地図を描いたみたいにうじ虫がわいて…。私、うちわであおぎましたの。そしたら虫がずんずんずんずん増えて、『痛い、痛い!』って。そればっかり思い出します」

 翌月、日本は戦争に負けた。いとこと叔父を亡くした関田さんは言う。

 「難しいことはよう分かりません。とにかくね、戦争だけはやめてもらいたい」

    ■    ■

 太平洋戦争ではアジアを中心に膨大な犠牲者を出し、約310万人の日本人が死亡した。病気や飢えのため、旧満州(現中国東北部)やフィリピンなどで死亡した人も少なくない。

 高知市一宮東町3丁目の岡崎博俊さん(89)は4年間のシベリア抑留を経験した。

 「勝っても負けても戦争は惨めなもんですよ。特に捕虜は人間扱いされん。水みたいなおかゆがほとんどで、満腹になった日は一日もない。八分目も半分もない」

 旧日本陸軍の特別幹部候補生として、旧ソ連と満州の国境付近にいた。敗戦直前の45年8月9日、ソ連軍が侵攻してきた。

 「夜中、非常呼集があった。南下のために銃器を焼いて、兵舎にも火を付けました」

 夜が明ける。飛行場を見に行って驚いた。

 「将校連中がおらんのよ。飛行機もない。空っぽなの。われわれを残して逃げとるんですよ」

 岡崎さんらは奉天(現瀋陽)でソ連軍に捕まり、抑留生活を経て、敗戦の4年後に帰国した。

 戦時中の写真は一枚もない。「身上申告書」。高知県庁で手に入れた1枚のコピーが、岡崎さんの軍歴を示す唯一の記録だ。

    ■    ■

 14日夕方、岡崎さんは自宅のテレビで、安倍晋三首相の記者会見を見た。「戦争のにおいがした」と言う。

 「『武力行使はしない』と言いながら、準備してるんだから。自衛隊が外国に行って銃弾が飛んできたら、撃ち返しますよ。そしたら終わり。今どんなことを言っても、1発飛んできたら、しまいがつかんなる」

 「安倍さんは戦争体験者に聞いてみないかんのよ。『戦争したらえい』という人、一人もおらんよ。殺し合いをしてえいこと、一つもない。安倍さんは戦場行くんですか? 行くのは自衛隊。彼らが犠牲になったら、安倍さんらが殺したと思わないかん」

  【写真】軍歴が記された「身上申告書」を手に「戦争ほど惨めなものはない」と話す岡崎博俊さん(高知市一宮東町3丁目)


 
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