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ニュース選択ぎりぎりまで
試験対策は高知新聞
昭和から平成。時代がめまぐるしく動く中での就職活動でした。時の日本経済はバブルの真っ只中。金融、証券業界の人気は高く、周りの仲間はこぞって銀行、証券会社へと足を運んでいました。私も就職活動を始めた時は金融志望。専門紙を読み、金融関係の本を大量に読みあさっては、東京・兜町を闊歩する自分を思い浮かべていました。
金融志望の私がなぜマスコミ志望に転換したのかといいますと、参加していたサークルの影響です。先輩や後輩にマスコミ志望者が多く、日ごろからジャーナリズム論や新聞業界の課題について議論していました。仲間たちとの交流を通して、マスコミの社会的責務を学んだことが新聞業界への入り口だったと思います。
数多くあるマスコミの中で、高知新聞を選んだ理由は、やはり自分の故郷の地方紙であることが大きな要因です。自分自身が高知をもっと知りたい。そして高知の良さを多くの人に伝えたい。そんな気持ちで高知新聞の門をたたきました。
新聞社の採用試験といえば、やはり時事問題や論文が真っ先に思い浮かびます。友人の中にはマスコミ志望者を対象とする専門学校に通う人もいましたが、私は東京の下宿で高知新聞を購読し、新聞を読むことを続けました。いまから思えば、この「新聞を読む」ということが、入社試験に役立ったと思っています。
責任を実感
さて、運良く高知新聞に採用されたわけですが、新聞記者は車に社旗をはためかせ、さっそうと事件現場に出て行くというドラマのような世界ではないことをすぐさま実感しました。とにかく事実の確認をいやというほどさせられました。わずか20行足らずの原稿でも、キャップ、デスク、部長の厳しい目が入り、何度も確認作業を強いられました。一字一句の大切さを叩き込まれたわけです。
サツ回り(警察担当)、教育担当、安芸支局と出稿部門を経験しましたが、忘れられないのは社会面のトップを書いたことですね。紙面に記事が出るまでには多くの苦労がありましたが、大手紙も社会面トップで後追いしてきた時は、なんともいえない優越感。仕事のやりがいを感じました。
また、グループ企業のテレビ局にも2年間出向しました。同じマスコミとはいえ、ニュースの出し方や伝え方が新聞とはかなり異なり苦労もしましたが、台風取材などを通じて読者、視聴者のニーズにこたえる地元メディアの責務をあらためて痛感しましたね。
ニュースの最終アンカー
現在、所属しているのは編集部です。新聞業界では整理部と呼ばれることが多い部署で、記事に見出しをつけ、紙面をレイアウトする職場です。基本的に取材には出ませんが、読者にニュースを送り出す最終アンカーです。「夜の編集局長」とも呼ばれ、とてもやりがいのある仕事です。
編集部の仕事には研ぎ澄まされたニュース感覚と語彙力が問われます。毎日、本社の記事(地だね)をはじめ、共同通信、時事通信から山のように原稿が送られてくるわけですが、その中から県民に伝える記事を取捨選択しなければなりません。常に読者の視線が必要で、「降版時間ぎりぎりまで粘って、新しいニュースを突っ込む」姿勢を貫いています。ネットの時代といわれて久しいですが、時代を残していく新聞の責務を感じる毎日です。
この職場では数多くのビッグニュースを扱いました。「米中枢同時テロ」「小泉首相の訪朝」「スペースシャトル爆発」などなど。歴史に残る紙面の見出しをつけてきました。中でも「米中枢同時テロ」は生涯忘れられない紙面です。刻一刻と入電する記事、悲鳴を上げる市民の写真…。どの記事をどの面に配置するのか、深夜から未明にかけての編集作業はまさに火事場の忙しさでした。権力の監視と恒久平和を追求する新聞として、伝えるべき記事は伝えたといまも自負しています。
人の立場に立つ
新聞記者に必要なのは、読者、県民と同じ視点だと思います。上からモノを見るのではなく、その人の立場に立てるかどうかが重要です。この感覚と多少の文章力があれば、「誰でもできる仕事」だと思います。新聞社を志望する後輩たちには、広い知識と多角的にモノを見る目を養ってもらいたいですね。
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