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今年、創刊100年を迎えた高知新聞社は、高知市立自由民権記念館、神奈川県横浜市の日本新聞博物館と共催で、高知市と横浜市で「自由民権と土佐 高知新聞の100年」展を開催します。
明治維新後、全国に散らばった土佐出身の言論人らは各地で新聞雑誌類を創刊し、民権思想の普及に情熱を傾けます。そんな気骨ある言論の風土で明治37年9月1日に創刊された本紙は、以後、読者の温かい支援を受けて激動の星霜を生き抜き、1世紀の歴史を刻みました。
民権の風土とは、そして新聞の100年とは、その来し方を振り返り、言論の「原点」を確認しようと特別展を企画しました。ご期待ください。
【会場と会期等】
(1)高知市立自由民権記念館=10月9日(土)―11月14日(日)
休館日=10月12日(火)、18日(月)、25日(月)、11月1日(月)、4日(木)、8日(月)
入場は無料
(2)日本新聞博物館(横浜市)=2005年1月8日(土)―3月13日(日)
休館日=月曜日(祝日と重なる場合はその翌日)
入館料は500円
主催 高知新聞社 高知市立自由民権記念館 日本新聞博物館
(平成16年10月8日朝刊)
反骨精神受け継いで 高知新聞100年展 あす開幕
高知新聞創刊100周年を記念した「自由民権と土佐 高知新聞の100年」展の開幕を9日に控え、高知市桟橋通4丁目の市立自由民権記念館で設営準備が着々。7日には明治期に発行された新聞や展示パネルが会場に並べられた。
高知新聞は、日露戦争開戦の明治37(1904)年9月1日創刊。戦時中の言論統制もくぐり抜けながら、大正、昭和、平成と自由民権の系譜を受け継いできた。
同展では「発禁処分」という政府の言論弾圧に強く抵抗の意思を示した明治15(1882)年の「新聞の葬式」の行列を再現したモニュメントなどを置き、本紙創刊前の明治初期の新聞界の流れも紹介。本紙100年の歴史を鉛の活字や昭和20年代のカメラなどの物品・資料やパネルで振り返り、郷土の言論人の功績をたどるコーナーも設ける。
開幕日の9日は、元高知新聞論説委員長の英保怜一郎氏、23日にはジャーナリストで評論家の佐高信氏が記念講演。
同館の筒井秀一副館長は「明治前半はマスメディアの競争があり、お上の弾圧もあった激動の時代。その中を生き抜いてきた土佐人の反骨精神、心意気を伝える展示になる」と話している。
入場無料で、11月14日まで。休館日は10月12日、18日、25日、11月1日、4日、8日。問い合わせは市立自由民権記念館(088・831・3336)。
【写真説明】設営作業が進む「自由民権と土佐 高知新聞の100年」展の会場(高知市の市立自由民権記念館)
(平成16年10月9日夕刊)
自由民権の系譜守り1世紀 高知新聞100年展開幕
高知新聞の創刊100周年を記念した「自由民権と土佐 高知新聞の100年」展が9日、高知市桟橋通4丁目の市立自由民権記念館で始まった。鉛活字やカメラなど時代を感じさせる品や、創刊から現在までの新聞などを展示。高知新聞が自由民権の系譜を受け継ぎ、県民とともに歩んできた1世紀を伝えている。11月14日まで。
同展は、メーン会場中央に言論の弾圧への抵抗を象徴する「新聞の葬式」の行列を題材にしたモニュメントを設置。その周りに、昭和40年代に社会部が使っていた無線機などのほか、これまでに発行された主な号外や記憶に残る事件・事故の報道写真などもパネル展示。明治初期から現在までの本県の新聞界の流れを紹介している。
開幕式では、岩井寿夫・高知新聞社社長が「明治37年に誕生し、自由を尊び、民権を大事なものとする精神は今まで受け継がれている。これまで支えていただいた県民の皆さまに感謝の気持ちをお返ししたい」とあいさつ。岡崎誠也・高知市長らとともにテープカットし開幕を祝った。
訪れた人は、真っ茶色になった明治期の新聞に「触ったら崩れそう」。高知市内の男性(75)は、昭和12年の「冒険家ドレー機墜落」の古い写真を見つけ、「小学生の時に見に行ったことを思い出し、懐かしい」などとじっくり堪能していた。
【写真説明】高知新聞の100年の歴史と言論の弾圧に抵抗してきた新聞界の流れが紹介されている会場(高知市の市立自由民権記念館)
(平成16年11月2日朝刊)
人権で特権を撃て 佐高信さん高知市で講演
高知新聞創刊100周年を記念して高知市の自由民権記念館で開かれている「自由民権と土佐 高知新聞の100年展」に合わせて、ジャーナリストで評論家の佐高信氏がこのほど、同記念館で「近代日本とジャーナリズム」と題して講演した。講演要旨は次の通り。
あまり注目されてないが、1977年9月27日は日本のジャーナリズムにとって重要な日だ。この日、横浜市緑区の住宅地に米軍機が墜落した。9人が大やけどを負ったが、出動した自衛隊機は被害者を見殺し、パイロットを救出した。
3歳と1歳の子供が死亡。自身も大やけどを負った、当時26歳の母親は精神病院入院、離婚などをへて31歳で無念の死を遂げる。
こんな大事件が、この日の地元紙には小さな記事でしか載らなかった。日本のマスコミの持つ重大な欠陥だ。
ことし沖縄国際大に米軍機が墜落した。現場の眼下には普天間基地。その金網に「caution(警告)」と書いてあるのを見て、私は憤慨した。なんで日本人が米兵に注意しないといけないのか。せめて逆向きに付けて米兵が注意するべきだ。
米軍は何を守っているのか。「北朝鮮が怖いから日本を守ってもらおう」という単純な問題じゃない。威勢のいいことを言う日本のナショナリストたちも沖縄の問題については話さない。いや、話せないのだ。軍隊は国民を守らない。沖縄や満州での日本軍もそうだった。
ことし、小泉首相再訪朝の際、日本テレビだけ同行を拒否される問題が起きた。この時、他メディアはなぜ、政府に抗議して同行取材を拒否しなかったのか。「政府に都合の良い報道をするメディアだけ連れて行こう」という趣旨なのに、反発しないのは情けない。
これには、初訪朝の時に話題になった北朝鮮にもらったとされて行方が分からなくなったマツタケ事件が裏にあるらしい。あの時、到着した飛行機の下にトラックを横付けして運び去ったのを、日本テレビのハングルの読める記者だけが気付いた。その報復だ。
マツタケは官僚や大手マスコミに流れたらしい。だから、彼らは何も書けなくなったのだ。
明治時代、山形・酒田で、町の有力者がこぞって参加して「天皇ごっこ」の宴会が開かれた。本格的な衣装を作らせ、天皇や皇后役を決めて宮中の宴会を再現した。
これが新聞に暴かれ、全員不敬罪に問われた。その子孫は皆、「うちのじいさんがバカなことをして」と恥じ入りながら暮らしてきた。
だが、私はそれをむしろ自由経済都市・酒田でしかできなかったことで、誇るべき歴史だ、と主張している。このように歴史は見方によって全然変わってしまう。
歴史を動かすのは名も無い民衆のエネルギーだ。特権に対する人権で、高知の自由民権がまさにそれ。人権によって特権を撃つのがジャーナリストの役目。今は特に特権という役人をどう撃っていくかが、重要。
例えば、盗聴法制定を政府が進めた時、真っ先に反応したのはエロ、いわゆる女性の裸が載るようなメディアだった。彼らは権力が報道に介入する時は、性の問題から入ることを知っている。
国民もエロなら規制もしょうがないとだまされず、その先を考えてほしい。役人に対する庶民の視点を大切にしたい。
【写真説明】約100人の聴衆を前に講演する佐高さん(高知市の自由民権記念館)
(平成16年11月14日朝刊)
高知新聞100年展 山陽新聞記者ら見学
高知市桟橋通4丁目の市立自由民権記念館で開かれている、高知新聞の創刊100周年を記念した「自由民権と土佐 高知新聞の100年」展に13日、岡山県の山陽新聞社の若手記者ら25人が訪れ、自由民権運動などについて学んだ。同展の入場者はこの日で5000人を超え、14日に閉幕する。
同展は10月9日に開幕。カメラや鉛活字といった新聞の歴史を伝えるものや、創刊から現在に至るまでの新聞などを展示している。
山陽新聞の記者らは社員研修の一環で、言論弾圧の歴史や自由民権運動などについて学ぼうと来高。メーン会場に設置されている「新聞の葬式像」に「葬式で抵抗する姿勢がすごい」「こんなの初めて見た」と驚いた様子で、同館の筒井秀一副館長の解説に熱心に耳を傾けた。
引率した滝本清文・編集局総務は「先人たちが勝ち取った言論の自由の歴史について勉強になったと思う」と話していた。
【写真説明】熱心にメモを取る山陽新聞の記者たち(高知市の市立自由民権記念館)
(平成16年11月15日朝刊)
高知新聞の100年展閉幕 愛読者ら約5400人来場
高知市桟橋通4丁目の市立自由民権記念館で開催されていた「自由民権と土佐 高知新聞の100年」展が14日閉幕した。10月9日からの31日間(休館日除く)で約5400人が訪れた。
高知新聞創刊100周年記念事業。言論弾圧への抵抗を象徴する「新聞の葬式」を題材にしたモニュメントや本紙の歴史をたどるパネル、写真機などが展示され、連日、本紙の愛読者や歴史ファンらが詰め掛けた。
最終日も多くの人が訪れ、明治期の新聞を見ていた女性(52)は「小さな文字。昔の人はよく読んだものですね」。新聞の100年の歴史をたどりながら「変わったもの」「変わらないもの」を実感していた。
【写真説明】本紙愛読者らが連日訪れた「自由民権と土佐 高知新聞の100年」展(高知市の市立自由民権記念館)
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