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【14】木村秋則さん 無農薬リンゴを作った男

フカフカの土を見せてくれる木村さん。畑にたくさんの雑草が生えているのが、よその畑と違うところ  「草木にも心ある」

 木村秋則(あきのり)さんに、御著書「自然栽培ひとすじに」(創森社刊)へサインを下さるようにお願いすると、こう書かれた。

 木村さんは、一九四九年、青森県岩木町(現弘前市)のリンゴ農家の次男に生まれた。一度は川崎市の機械メーカーに就職したが帰郷し、リンゴ農家の養子となる。農薬を使うリンゴ栽培に励むと、妻やそして自分にも農薬の害が出て、一念発起。

 リンゴの無農薬栽培に挑戦し、十年近い「無収穫。極貧」の時代を経て、わが国で唯一のリンゴの無農薬・無肥料の“自然栽培”に成功した男(ひと)だ。

 「草木にも心ある」。これは木村さんが、リンゴが一個も実らず、木が弱ってグラグラになり次々と倒れていった後ついに今の農法を編み出しリンゴを実らせた時、達した心境だったろう。

 リンゴは日本には一八七一(明治四)年にアメリカから輸入され、冷涼地が栽培に適していることが研究で分かり、津軽(青森)では、廃藩置県によって困窮を極めていた旧津軽藩士への支援事業として広められた。

 しかし、リンゴは病害虫に弱かった。著者の知る東北の無農薬農家の方々も、「リンゴだけはボルドー液など古くから使われてきた農薬を使わなければ絶対にできない」とおっしゃる。

 木村さんは、リンゴ畑を次々と無農薬にしてゆき、病害虫の駆除のために、酢やワサビなど思いつくあらゆるものを“農薬”のかわりに播(ま)いていった。その上、リンゴの木に負担がかからないように、下草も丁寧に刈り続けた。

 しかし、リンゴの木は弱って、倒れてゆくばかり。花も咲かず実もつけてくれない。初めのころはリンゴの木に、「どうか実をならせておくれ」と声をかけていた。

 三人の子を抱える生活は貧窮し、黙ってついてきてくれる妻と自分は粥(かゆ)を啜(すす)る毎日が続くようになると、「もう実はならせてくれとは言わないから、どうか倒れないでちょうだい」と木に哀願するようになった。

 無農薬に取り組んで九年目、一九八五年七月三十一日。東北の大祭“ねぶた”の前夜。自分が首をくくるためのロープを編んで大好きな岩木山の山中をさまよった木村さんは月光下、たわわに実をつける一本のドングリの木に出会う。「山の木は肥料も何もやらなくても、こんなに実をつけているじゃないか」、地面はフカフカで、「これだ!」と分かった。

 「自分は“無農薬にかわる何か”を見つけさえすれば無農薬リンゴはできると思っていたが、間違っていた。“畑の中に自然の循環を再現させる”、“自然の力を引き出す”ことを考えねばいけなかったんだ」との想(おも)いに達したのだ。自殺を考えていたことなどすっかり忘れてしまうほど嬉(うれ)しかった。

 “軟らかい土”をつくるためにその後は数年、畑に大豆を播いた。根粒菌の助けを借りて、土の中に微生物がたくさん生きられる環境をつくっていった。有機肥料も入れるのをやめた。

 一本の木がたった七個だが花を咲かせたのはそれから三年後、すべての畑で農薬の使用をやめてから八年が経(た)っていた。

 「ありがとう、よく頑張ってくれたね」。そう声を掛けたこの木の近くには、一列すべての木が枯れてしまったところがあった。道路の近くなので、木に話し掛けている自分を他人に知られるのが恥ずかしくて、声を掛けなかった木々たちだった。

 【写真】フカフカの土を見せてくれる木村さん。畑にたくさんの雑草が生えているのが、よその畑と違うところ

(2008年11月24日付・朝刊)
 
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