▼13 国と地方の軌跡映す
自治体の設計図ともいわれる予算。一九九二年度以降、橋本県政が十六回編成してきたその軌跡を振り返ると、「国策に翻弄(ほんろう)され続けた地方」の姿がくっきりと浮かび上がる。
国に追随し積極的に事業展開して借金を積み上げた前半と、事業の縮減や借金返済に追われた後半。県の一般会計当初予算の規模は、九九年度の六千二百十三億円をピークに減少に転じ、〇七年度は橋本県政で最少の四千二百三十二億円。その差一千九百八十一億円。これはそれだけ、県が行政サービスを展開する余地を失ったことになる。
【写真】就任後初めて手掛けた当初予算案を発表する橋本知事(1992年2月、県庁記者室)
▼収支均衡
一九九〇年代。バブル経済の崩壊で国全体に「失われた十年」が到来する。とはいえ、地方財政はまだ自民党政権が主導した「古きよき時代」のシステムに組み込まれていた。
不況になると、国は公共事業をテコにした景気対策を打ち出す。九〇年代も毎年のように大型の補正予算を組み、とりわけ公共事業を推進するよう地方の尻をたたいた。
橋本県政も高知工科大、高知新港など大型事業を積極展開していったが、国の補助事業には「裏負担」という名の自己負担も伴う。県債(借金)の発行額は見る間に膨らんでいった。「少し背伸びしていた」。後に橋本大二郎知事が振り返ったように、気が付けば借金残高が年間予算を上回る状況(九七年度決算)に陥った。
県は九八年度から財政構造改革に着手。予算総額は同年度に初めて減額に転じる。翌九九年度は’98高知豪雨災害による復旧事業で予算規模が再度膨らんだものの、歳出削減は次々断行。その年の歳入で歳出を賄う「収支均衡」を〇三年度までにほぼ達成し、予算を“等身大”に近づけた。
▼“職員雇用機関”
そんな県の自助努力も「三位一体改革」の前に吹き飛ばされる。構造改革の旗を掲げた小泉政権は、地方交付税・補助金・税財源の一体的な見直しと言いつつ、弱小自治体が頼みとする交付税の削減を先行させた。
県財政課は〇三年、庁内に覚悟を迫る。「今後の四年で一般財源は五百億円減る」。半信半疑の空気も漂ったが、想定は現実のものとなった。
収支均衡がたちまち崩壊した〇四年度、橋本知事は「このままでは財政再建団体に転落する」と財政危機を宣言。職員数や給与カットにも踏み込み、三年間で約四百億円の歳出縮減を実行したが、〇七年度当初でなお百九十三億円の財源不足が横たわっている。
普通建設事業費は九六年度の二千二百億円をピークに、〇七年度は三分の一に激減。投資的経費を限りなく減らす県の存在は、極端に言えば県職員の“雇用機関”に近づきつつある。
「高知県はがけっぷちにある。地域住民の暮らしを守っていくため、国は、地方は何をすべきかもう一度整理すべきだ」
昨年五月の全国知事会。本県のリーダーは本県の窮状を訴え国を批判する一方、市町村合併は「推進」へとカジを切り、県民には「自立」と「支え合い」を促す。
国は「高知県消滅」を意味する道州制への論議も加速させている。市町村ともども財政の自立性を奪われる県の姿はそのまま、地方政治のひ弱さを凝縮している。
=おわり= |