▼2 火種 はだかる政党の論理
1999(平成11)年10月。橋本大二郎知事の政治姿勢に異を唱え、3選阻止へ知事選出馬を決意した県農協連会長を推薦すべきかどうかを協議した自民党県連の総務会で、当時の中谷元会長は「推薦見送り」を迫る党員を“筋論”で説得した。
「ここで自民党が腰を引いたら、知事の政治姿勢は変わらない。政党として筋を通し、県民の思いを県政に伝えることが大事だ」
【写真説明】橋本知事の対立候補推薦を決めた自民党県連の総務会。消極派を押し切ったのは政党の筋論だった(1999年10月11日、高知市升形の自民会館)
▼「是々非々」
県議会、中でも自民党県議団と橋本知事の対立史をなぞると、県議会改選直後の99年4月が見逃せない節目として刻まれている。
自民党県議団の役員と知事との協議。自民党は元海洋局次長による高知商銀の巨額焦げ付き事件や度重なる議会軽視の姿勢などを理由に、与党から「是々非々」への転換を決めた。
それが中谷会長が口にした筋論につながり、亀裂は徐々に広がっていくが、対立の火種は知事の1期目からくすぶり続けていた。
91年の知事選。公認候補を立てた自民党は橋本知事に惨敗したが、兄の龍太郎氏(元首相)の仲介もあって、約2カ月後には県政与党に舞い戻る変わり身の早さを見せる。
自民党はその際に結んだ政策合意書に「保守県政の発展を目指す」とうたい込むよう求めたが、橋本知事は「保守、革新という従来の概念にとらわれたくない」。結局、文言は「『自由主義体制』を基本理念として」というあいまいな表現になった。
それ以降、知事は県民との直接対話に軸足を置きながら、自民党県政が「是」としていた事柄に次々とやいばを突き立てていく。県職員採用時の国籍条項撤廃、コメの生産調整(減反)からの撤退、国歌見直しの必要性に言及した「君が代発言」…。
そして99年2月定例会で焦点化した「非核港湾」の条例化問題が自民党にうっせきした不満を頂点に引き上げた。政府・自民党を向こうに大立ち回りを演じた橋本知事との溝は決定的となり、逆に共産党は知事を評価。同年秋の知事選に独自候補の擁立を見送り、それ以降、与党色を濃くしていった。
▼立ち消え
橋本知事は決して政党との関係に無関心だったわけではない。95年の知事選では政党の推薦・支持を受けない「脱政党」宣言をする一方で、県内各党や政治団体の代表者に呼び掛け、県政課題を議論するシンポジウムを開く。
目指したのは「政党との新しい関係」だったが、聴衆はまばら。「個別の県政課題なら本来は県議会で議論すべきだ」との指摘も出るなど“消化不良”に終わった。99年の知事選では政党を議会に置き換え、議会と執行部の「新しい関係」構築に意欲を見せたが、それも闇融資事件などの浮上で立ち消えになっている。
都道府県議会は政党政治の最前線といいながら、与野党の色分けは知事に対する距離感で分かれるのが一般的だ。国と地方の関係見直しが進む中、郵政民営化反対意見書を全会一致で可決したように県議会が保革の枠を超えてまとまるケースもある。
だが、政党は地方政治の場でもその本性を見せ、対立軸をつくり出す。無党派知事の前に立ちはだかる政党の論理は今なお堅固だ。(「政治に訊け」取材班)
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